横浜 二俣川、帷子川(相模鉄道 二俣川~横浜)

 相模鉄道 二俣川駅から少し東の住宅地のあたりで駅の下を潜っていた二俣川が
姿を現わす。
幅10m程のコンクリート護岸で囲まれた川には水面にオーバーハングした鋼材製の
歩道が設けられ、途中にある昔風のたばこ屋が懐かしい佇まいを残している。

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二俣川の流れは国道16号の高架下を潜りタカナシ乳業横浜工場横から厚木街道の
下川橋の先、旭区役所近くで西から下ってきた帷子川に注ぐ。

二俣川と合流した帷子川は一旦厚木街道の下を暗渠で潜り鶴ヶ峰公園の先で幅20m
程の流れとなって再び姿を現す。この暗渠は延長141.1m、高さ9.6m、幅員16.3m
の[帷子川捷水路トンネル]で1988年3月完成と記されている。

鶴ヶ峰公園から下流に高さも角度もマチマチな橋が三本見える。
手前の一番低い鶴峰橋の横には鶴ヶ峰稲荷神社が祀られ、その次の高いのは国道
16号から降りてくる道路が渡る橋、その後ろが鶴舞橋。 

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鶴舞橋の少し下流側 右岸脇にある帷子川親水緑道に寄ってみる。 
石段を下りると巾着状に曲がる細い池に周囲からの湧き水が流れ込んでいる。ゴイ
サギが羽根を休める水辺には東屋や竹藪、それに小さな吊り橋があり住宅地の中の
静かな日本庭園の趣。昔帷子川が蛇行していた流れの名残を活かし公園としてよく
整備されていて気候の良い時には気持ちの良い散策を楽しめそうだ。

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 ここから下ると嶋越橋で光が丘団地方面から南下して来た帷子川支流が合流し、
その先愛宕橋と下中田橋の間に水門が設けられている。
「ここから帷子川分水路が設けられトンネルにより下流に流下させるようになり
 大水が出た際の安全度が飛躍的に向上した」と その下流側にある和田町駅前の
説明版に記されている。

西谷駅手前で相鉄線の高架下を潜ると逆田橋公園。ここも昔の流れが蛇行していた
跡を公園にしたような地形で、ベンチに座ると右手に東海道線、左手に相鉄線の走
るが眺められて見飽きしない。

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逆田橋公園から新幹線の高い高架の下を通り下流方向に進む。

右岸は高い崖が続き昨年秋の台風の風雨の被害の跡だろうか崖上から倒れた樹が

通路を塞ぎ当時の風雨の凄さを伝えているが、住宅地に氾濫被害が無かったのは

[帷子川分水路]が有効に機能したからだろう。

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川島小学校近くに小さな田圃があり[ほどがや・元気村]の表示と説明板があり、昔
の谷戸の面影を僅かに残している。

環状2号線の下を潜り右岸を進むと、また崖が迫り水辺に沿った道は無くなってし
まった。

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崖に建つ住宅の間の急坂を上がると坂の上に川島稲荷神社がり、そこの案
内には次のように記されている。
___________________________________
 川島稲荷神社は、今から二百年以上前、江戸時代の享和三年(1803)に建立されま
した。
その頃この一帯に住んでいたご先祖様たちは、坂の多い土地を段々畑や棚田にして
作物を作っておりました。 そして五穀豊穣による実り豊かな生活を祈願するため
稲荷神社を建てたと言われています。
ここは、かって稲荷谷戸と呼ばれていたように農作業に貴重な湧水が豊富でした。 
___________________________________

川島稲荷から降りて西谷浄水場からのバス路に出ると全面壁と屋根に覆われた道路
の下を通る、道路のように思ったのは後で調べるとJR貨物横浜羽沢貨物駅から出
てきた高架線路だった。

 上星川駅前から和田町までの間、川を建物が取り囲むようにして建っているが、
その後また水辺の道に戻り平和橋の先で横浜新道(国道1号)を潜る。
星川駅を過ぎ天王橋の先で流れは左に大きく曲がり南から来た今井川と合流する。
相鉄線も川に合わせるように曲がって西横浜駅からJR東海道線に平行して走る。

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社宮司公園から水道橋の先にある国道16号の尾張屋橋に上がって辺りを眺めると、
すぐ目の下に石崎川が分かれ、北に延びる水面には古河電工横浜研究所のビルが

映っている。
沼の橋の先 右岸に東京ガスの球形タンクが見えてきたあたりの地盤は海抜0.5m
と表示され、帷子川に沿って走っていた相鉄電車も横浜駅終点となる。帷子川は駅
の下を潜って横浜そごうの先で横浜港に入る。

R2.1.3

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皇居紅葉散歩

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 和田倉橋を振出しに黄葉のイチョウ並木を進み皇居外苑に入ると 北の大手門、
南の馬場先門からの人の群と合流し二重橋前辺りから途切れない隊列となる。
途中に手荷物検査があるが高速道路の料金所のように窓口が多く設けられている
うえ簡単な検査なので渋滞することなく通過し見物客は粛々と坂下門に吸い込ま
れて行く。

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 坂下門を入り、給水所で喉を潤し入口で配布されている大嘗宮(ダイジョウキュウ)の
解説パンフレットに記されている「令和元年秋季皇居乾通り一般公開」参観経路
の地図を見ながら蓮池堀に沿って乾通りを北に進む。沿道の散り始めた欅の黄葉
が秋の名残を感じさせる。

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 下道灌濠の先で右に折れ、西桔橋を渡り皇居東御苑 旧本丸に入る。曲がった
路の坂を上がり切ると歴史の教科書で習った校倉造りのような建物が高層ビルを
背景に住宅展示場のように並んでいるのが目に飛び込んできた。これが悠紀殿、
主基殿をはじめとする大嘗宮一連の建物で間近に見学見するには70分待ちとの
事なので遠くから眺めるだけで通り過ぎた。

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 松の廊下跡のある道を下り昔の警備詰所に当たる大番所から二の丸へ入る。
二の丸雑木林、庭園ではニシキギ、モミジ、ケヤキ 夫々色合いの異なる紅葉を
眺め爽やかな初冬の散策が楽しめる。

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大ケヤキの下のベンチに座って寄って来る雀を相手に小休止してから諏訪の茶屋
を見て平川門から出る。

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平川門を出てから大手濠にそって内堀通りを下り和田倉噴水公園から和田倉橋を
渡り振出しに戻る。

                     R1.12.8

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神崎川(阪急京都線 相川~ 宝塚線 三国)

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  阪急京都線 相川駅西口の先に安威川に架かる新京阪橋がある。
亀岡方面から来た安威川はその先の高浜橋で淀川から分かれてきた神崎川と合流
する。
上高浜橋の説明板によれば、この辺りは昔[吹田の渡し]と呼ばれ、明治の初めま
で渡し船が通っていたとの事。

 ここから下流は神崎川本流となり、左岸は大阪市東淀川区、右岸は吹田市と川
を境に分かれているが、左岸側の一部 日本触媒の辺りが取り残されたように吹
田市(西御旅町、東御旅町)になっているのは 昔 神崎川が蛇行していた時の
名残だろうか?。

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斜張橋の高浜橋脇から右岸河川敷降りる。
[水鳥の道]と表示された遊歩道は樹木の手入れも行き届き川原の草刈り跡に鳩や
雀の群が降りてくる。
吹田大橋を過ぎ中の島公園の先に阪急千里線鉄橋が架かりマルーンのボディに
シールを張り付けた電車が通過して行った。

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 千里線鉄橋の500mほど先にJR吹田から来た城東貨物線と新大阪から来た
大阪東線の鉄橋が見える。
城東貨物線は単線の錆が浮いたプレートガーダーが真っすぐ架かるのに対し、大
阪東線は蒸気機関車の煙で燻されたような艶のない真っ黒な複線トラス橋で川を
斜めに渡り左岸の延原倉庫横で城東貨物線に平行する。

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この辺りの大阪東線の線形を地図で見ると東海道線と城東貨物線が鋭角で交わる
頂点部にコンパスでRを付けたような軌跡でコンパスの中心が神崎川の中にある
感じ。

 新大吹橋を過ぎネオマテリアルの鋸屋根工場の横を進むと東海道線の鉄橋。
上流側の背の低いポニートラスを智頭急行乗り入れ特急[はくと]、中程のスパン
の短いトラスには新快速、快速、普通がひっきりなしに通り、下流側のデッキ
ガーダーにはEF210電機 桃太郎のコンテナ貨物列車が通過し見飽きがし
ない。

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 JR鉄橋を過ぎると新御堂筋(国道423)の十八条大橋。
大阪メトロ御堂筋線が走る脇にビル群が林立し、その中でも目立つのが左岸にあ
るゼブラ模様の建物。これはホテルのようで並び建つビル群に埋没しないように
奇抜な装いでアピールしている。

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 五反田橋で豊津から来た小川が合流し榎木橋で逆V字形に大きく曲ると前方に
六甲の山並が見えてきた。

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大阪国際向けて着陸態勢を整えた旅客機がひっきりなしに頭上を通過するのを見
上げめながら進むと堤防越しに洒落た鐘楼の塔が見える。結婚式場のモニュメン
トらしい。

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豊吹橋を過ぎ左岸遥かに梅田スカイビルが影のように見え、右岸に豊中方面から
きた天竺川が合流して三国橋に出る。

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三国橋の下流側マンション群の間から抜出すように阪急宝塚線の電車が通過して
行く。
国道176新三国橋から下流側に阪急神戸線を見て阪急宝塚線三国駅に到着。

三国は昔、中小工場の集まる雑然とした街並の印象だったが今は駅前がスッキリ
と整備され郊外の高級住宅地のようになっているのには驚いた。

R1.11.3

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東近江 五箇荘を訪ねて

 東海道新幹線の米原~京都間の中程で車窓から一瞬[天秤の里]の看板が見える。

以前から気になり一度訪ねてみたかった。

米原で乗換えた近江鉄道の2両編成ワンマン電車は高宮から新幹線と平行に走り、
愛知川を渡り五箇荘に着く。

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乗降ホームは簡素だが駅舎は二階建ての醸造蔵風、中央に六角形小塔の突出た

立派な作り、以前は駅員が勤務していたと思われるが今は無人。

駅舎の前に[白壁と蔵屋敷の町、近江商人発祥の地]の地図入り案内板があり

愛知川と繖山(きぬがさやま)に囲まれた一帯の地図看板が示されている。

愛知川に注ぐ大同川を渡り行田(ゆきた)電線前を北西に進む。
繖山と黄金の稲田を見ながら歩いていると金木犀の香る風が吹いて来た。

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最初に訪れたのが近江商人屋敷 藤井彦四郎邸。
この屋敷の元主は藤井糸店を創業し財をなしたとの事で、立派な門構えの奥に瓦葺
きの屋敷が控えている、今日は閉館日で門の外から眺めるだけ。

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ビルの上に和風建築を載せたような観峰館の前から南西に向かうと瓦葺き長屋門風
の五箇荘小学校の正門、その大木戸はキッチリ閉じられている。

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校舎は換気小屋を載せた瓦葺き、校庭から生徒の声で校内放送が聞こえて来た。

白壁蔵作り風の近江商人博物館のカドを回って金堂地区に入る。

[五箇荘金堂の町並み]
近江商人の本宅群とこれを取り囲む農村集落の景観は国の重要伝統的建造物群

保存地区に選定されています。愛知川の伏流水を水源とする湧水から集落内を巡る

水路に澄んだ水が流れ、暮らしの中で利用されてきました。 集落を巡った水は周

辺の水田を潤し、湖東地域特有の農村風景を生み出してきました。

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大杉に囲まれた大城神社に立寄る。本殿の前に立派な屋根構えの山門、床を張

れば豪壮な神楽殿になりそうだ。

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近江商人屋敷前バス停左の静かな通りに 浄栄寺、弘誓寺が並び門前の堀割に

大きな錦鯉が泳ぐ愛知川の水の恵みを感じる風景。

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近江商人屋敷の通りに入るとタバコ屋、白壁の蔵、カンコ―学生服の幟旗を出した
店などが並び道路脇に用水路、ずっと先に和田山の緑を望む昔どこかで見たような
懐かしい街並み風景が広がる 

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 [近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ
 行商した商人の総称でそれぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う
 商品にも様々な違いがある]との事。

外村繁文学館前を通りJAライスセンターから北に聳える和田山を見ながら駅に戻
る。
五箇荘駅ホームで八日市行の電車を待っていると、上り新幹線が一瞬で通過して
行った。

                       R1.10.15

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近江八幡 八幡堀

 近江八幡駅北口から県道502(ぶらーめん通り)を北に進み八幡堀に向かう。
正面に八幡山が見える所まで来ると、左に八幡小学校が見え丁度下校の小学生が
出てきた、揃いの白い帽子をかぶって楽し気にお喋りしながら帰って行く。

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観光バスが停まっている小幡通り市営駐車場の案内看板を見てから碁盤目の通り
を歩いてみた。
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[近江商人のふるさと]
天正13年(1585)、豊臣秀次が八幡山頂に築城、本能寺の変で主なき城下町と
なった安土の町を移し、翌年 八幡山下町掟書を公布、縦十二通り、横4筋の区
画整然とした城下町が誕生。しかし開町から十年、廃城となる。
その後は商業都市として栄え、北は北海道、南は九州、遠くは東南アジアまで活
躍した近江商人の一つのふるさとである。
いまなお、碁盤目状の街並みは旧市街によく残され、特に新町や永原町には近江
商人の本宅であった家々が建ち並び、八幡堀に面した、土蔵群など往時の在郷町
としての繁栄を伺い知ることができる。
________________________________


八幡小学校前の小幡上筋から八幡堀の間、南北の通りには魚屋(うわい)町通り、
為心(いしん)通り,仲屋町(すわい)通り、等由緒ある名前が残り昔の町の生業、
商い店の名残を伝えている。

八幡商業高校正門から八幡堀明治橋に到る魚屋町通りと大杉町通りが交わる所に
近江兄弟社、[メンターム資料館]がある。

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館の近くにある 近江兄弟社発祥の場所「創(はじめ)の家 の解説には下記記さ
れている

________________________________

明治38年(1905)2月2日に来日したW.Mヴォーリズ(24歳)は滋賀県立商業
学校(現 八幡商業高等学校)の英語教師に就き この場所で日本の生活を始め
ました。
放課後には、自宅を開放して「バイブルクラス」を開き、多くの学生をキリスト
に導きました。ヴォーリズの親しみやすい人柄と純粋な心に魅せられて、彼の周
りには多くの青年が集い”「神の国」の理想郷”づくりについて語り合い 町づ
くりに邁進して行ったのです。
建築事業・結核療養所開設・製薬事業・教育事業や教会設立などの「夢」がこの
場所から始まりました。
________________________________


館内に近江兄弟社創業者William Merrell Voriesのレリーフとメンタームキッド
を描いたボードが迎えてくれる。
1930年頃のパッケージ容器の商品と共に、Voriesの生い立ちがパネルで説明
されておりそのタイトルを読むだけでも歴史の一端が伺える。

「物語はカンザス州レブンワースから始まった・・・」
「来日、近江八幡へ・・・英語教師」
「2年足らずで解任、建築デザインを始める」
「近江セールズ会社設立 塗り薬メンソレータムが大当たり 近江兄弟社に」
「Vories病に臥し1974年経営危機]
「社員の必死の努力で再建、現在は[メンターム]の名称で事業継続」

1920年創業~現在に至るのメンターム容器、その間に他社で作られた類似品
サンメンターム、メンスター、メンタム観音など数多くがアクリルケースの中に
示されている。

[メンターム資料館]を出て慈恩寺町通りのヴォーリズ記念館を訪ねる。
下見板張りと呼ばれる鎧のような板壁に白い窓枠を備えた奥行きのある建物で
明治時代に建てられた近代的な木造校舎のような感じもする、紅瓦屋根から突き
出した煙突の先端の火の粉止めが吊手のようにも見える。

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ここから北に進み鉄砲町の境橋で八幡堀に出る。

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八幡堀は天正13年(1585)豊臣秀次が八幡城を築城、それと同時に構築された
もので東は北ノ庄の沢より西は南津田長命寺湖岸近く外湖を結ぶ全長約5km、
その全体を「八幡浦」と称した。今日では八幡堀といわれているが八幡の城下町
と琵琶湖を結ぶ一大運河であり大津、堅田とならんで琵琶湖の三大港の一つに数
えられていた。
湖上を往来する北陸と関西の物資を満載したすべての船はこの八幡浦に寄港し大
いに賑わい、今も残る堀沿いの土蔵、倉庫群は往時の繁栄を物語っており、その
重要性は近江商人の活躍を絶対的にしたものである。
この掘割こそが近江商人の代表八幡商人を生み出した源流である。
_______________________________

ここから往時の賑わいを思い浮かべながら八幡堀に沿って西に進み薬師橋、かわ
らミュージアムの窯前から、瓦亭の前の橋を渡り堀の岸に下りる。
ここから堀に沿って白雲橋までの間、蔵と石垣、岸に舫った屋形船の連なりは絵
のモチーフに恰好の風景だ。
明治橋からシキボウの工場横など歩いていたら釣瓶落としの秋の日が暮れた。

                       R1.10.15

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黒目川源流~落合川上流端(西武新宿線 小平~西武 東久留米)

 西武新宿線小平駅から小平霊園に入り桜並木をまっすぐ北に進むと小平市と
東村山市と東久留米市が境を接する辺りで雑木林外周路に出る。
この雑木林の奥に黒目川の源流とされる[さいかち窪]があり、窪の出口まで行
くと枯れた水路の痕跡が残っている。

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小平霊園から新青梅街道に出て東村山市と東久留米市の境の信号を東に50m程
進むと「さいかちの道」の道標がある。

案内板の説明には
________________________________
黒目川は小平霊園のさいかち窪を源流とし、埼玉県の新河岸川に流れる荒川水系
の河川です、かって黒目川は雑木林や畑に囲まれた農村を流れる小川でした。
親水化整備後も新青梅街道から三方橋にかけては、雑木林に囲まれ、豊かな自然
環境が保護されており当時の面影を残しています。
また、柳橋下流の「しんやま親水広場」は川に親しむことのできる市民の憩いの
場となっています。
________________________________
と記され、
新青梅街道の下(東久留米市柳窪4)から黒目川の源流となる小さな流れが湧き出
している。
ここから幅2mにも満たない浅い渓流のような黒目川に沿った緑道が雑木林の間
を縫うように始まる

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この緑道の始まる近辺は柳窪緑地保全地域に指定され途中の長福寺、天神社の周
囲は、かって[柳久保小麦]呼ばれた小麦の産地であったとの事。

武蔵野の面影はこんな雰囲気だったのかと思いながら、渓流と雑木林の道を進み
第十小学校の横を通り来梅橋、柳橋を過ぎると緑陰は無くなり川幅が5~6m程
に広がり明るい雰囲気の遊歩道に変わる。

特養ホームの先から[しんやま親水広場]が始まる。
久留米西住宅団地の中を流れる緩やかな緑の法面に囲まれた小川には網を持った
子供達が入り魚とりをする懐かしい光景が広がる。

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家の近くで水遊びや魚とりができるとは羨ましい環境だ。
川に入って捕った獲物を入れた容器を持っている子供に声をかけたら取ったザリ
ガニを見せてくれた。

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[説明板]を読むと
________________________________
[しんやま親水広場]はフェンスで囲まれたコンクリート水路を撤去し、川辺を緩
やかな傾斜にすることで、人々が川に近づくことができるようにした広場です。

[親水広場内の川について]
降雨に伴う大量の雨水が[親水路]に流れないように、[余水路]という地下水路を
作りました。
親水広場の最上流部に[分水人孔]という施設を作り、この中で[親水路]の水位が
40cmをこえないように雨水を[余水路]に流します。
[余水路]は高さ2m、幅2mのコンクリート水路で、大雨の場合は、広場の地下
を流れます。
___________________________________
と記され

長閑な自然を感じる風景だが今歩いている遊歩道の下には2m×2mの巨大な
ボックスカルバート水路が埋まっている事に気付いている人は この住宅地でも
どれくらい居るだろうか、と思った。

[しんやま親水広場]の終点で新所沢街道を渡り
左手に東京コンクリート久留米工場の巨大サイロが林立しているのを見て進んだ
先が氷川神社。

黒目川の流れはここから新宮前通りの下を暗渠で潜った後、所沢街道までの間
道路に並行して商店の裏と住宅の間に挟まれた狭い間を通る。
流れの両岸を鉄のシートパイルに囲まれ、川面は雑草に覆われ廃河川のような
状態が少しの間続く。

黒目川はは再度 新宮前通りの下を潜り出て、都大橋から先、川幅は20m程に
なり両側に植栽と遊歩道が整備され元の綺麗な川の流れが復活する。

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新小金井街道、平成橋の手前、本村小学校裏、出水川の注ぎ口辺りに[黒目川の
湧水点]という表示がある。
水面を見るとこの季節(初秋)枯れている出水川の注ぎ口の先、 川底のコンクリ
ートブロックの間から水が湧き出し、水面が小さく波立つあたりオイカワやハヤ
が群れをなし魚体のストライプが右に左に一斉に動き時折黒い大鯉が寄って来る。

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県道15を渡ると左に久留米西高、その先に増築工事のジブクレーンが秋空に聳え、

右にコカ・コーライーストの工場の黄色いテントの中にに赤いケースがずらりと
積み上げられている。

上落馬橋から流れの左岸に団地を見ながら桜並木の遊歩道を進む。ここでは
[この河川の下にはφ500送水管があります]と記されている。

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小山遺跡公園から大円寺に寄り少し行くと新大橋から西武池袋線の電車が見える。

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電車の鉄橋下を潜り、20分程進むと蒲鉾屋根の黒目川調整池管理棟の建物が見え、
その先で南側から流れてきた落合川との合流している。合流点手前の黒目橋の
写真を撮っていると少年が欄干から川に飛び込んで見せてくれた。

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源流から落合川との合流点まで7km弱の間に、渓流、団地の中を流れる小川、
草生した廃川、郊外の桜並木を持つ明る川 と色々な様子を見せる川だ。


R1.9.15

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落合川上流端(西武池袋線 東久留米)

西武池袋線東久留米駅の東方、カマボコ屋根の管理棟が目立つ黒目川調整池の先
に黒目川と落合川の合流点がある。

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ここから、落合川の源流を目指して歩いた。
合流点から少し南に下ると県道234の辺りで落合川に合流する立野川がある。

落合川沿いの道には西武池袋線までの間に不動橋広場があるだけなので、迂回し
て立野川沿いを進む。

積み石で囲われた立野川、浅間神社宮前橋辺りは滔々と流れ温泉街を流れるせせ
らぎの雰囲気。

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それより上流は両側を住宅や駐車場に囲まれ、下水路めいて少々風情に欠ける。

立野川は西武池袋線に当たる所から地下に潜り姿を消すので別れて落合川方面へ
向かい、途中で竹林公園に出る。

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竹藪の低地には湧き水が流れ出し落合川に向かっている。
公園通りを北に進み老松橋に出て落合川に沿った遊歩道を暫く行くと毘沙門橋。  
川を堰き止めたところの川原でで親子の水遊びを楽しんでいる。

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ここに設置された[南沢緑地の説明板]を読む
_______________________________
武蔵野の自然を色濃く残す東久留米市は、都心から24㎞という距離にありな
がら、多くの湧水と清流のある町として親しまれてきました。平成20年6月
には「落合川と南沢湧水群」が東京都で唯一、環境省選定の「平成の名水百選」
に選ばれました。

豊富な水量を誇る東久留米の湧水は。落合川流域の南沢地域を含む湧水池で、
日量約1万トン、下流部の下谷橋付近で日量約5万トンの流量になります。
南沢緑地保全地域に隣接する東京都水道局の給水所では、給水所内にある井戸か
ら汲み上げた地下水を荒川水系からの水に一部ブレンドして市内の水道水として
給水しています。
________________________________

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南沢水辺公園に寄ると氷川神社の先にの僅かな木漏れ日の雑木林の脇に浅い透き
通った湧水が流れ出ている この「落合川と南沢湧水群」を見てから南神明橋で
落合川に戻ると川幅は広いままだが流れる水は大分細く両側は草に覆われるよう
になった。

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落合川の湧水地点、御成橋の先に青い直径500mm鉄管が川を渡っている先の弁天
橋を過ぎると川の水量がいよいよ少なくなり水面が見えなくなってきた。
その先に もう一つの落合川の湧水地点があり、そこから上流は水が流れてない。

八幡橋で[一級河川 落合川 上流橋]の表示がされており落合川の終端(黒目川
との合流点)から源流端まで約5kmの行程だった。

 

R1.9.15

 

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三島 源兵衛川

 西伊豆旅行の帰途、三島の源兵衛川を訪ねた。
伊豆箱根鉄道 駿豆線 三島広小路で下車。順番待ちの客で立て混んでいる鰻屋
の先に幅10mほどの浅い川が三島側から修善寺方向に流れている。

案内板の地図に、これが源兵衛川で三島楽寿園の小浜池から流れを発し三島市街
を南下し中郷温水池に到る、と示されている。
その先をGoogle地図を調べると源兵衛川は中郷温水池から大場川に注ぎ、
大場川は狩野川に合流し沼津の海に注いでいる。

サラサラ流れる源兵衛川の下流右岸にイチョウ並木と奥に三石神社。
上流側、県道22号道路とその北側の鎌倉古道の間の両岸には民家が競り出すよう
に迫っている。

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 コミュニティーホール(Via701)のカドから北に進み鎌倉古道 広瀬橋の手前で
再び源兵衛川の流れに出る。

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鎌倉古道を横切った所に[平成の名水百選 源兵衛川] の標識があり、そこ先の
左岸は玉石を敷き詰めた遊歩道。

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入口の手押しポンプの冷水で腕を濡らし汗を流してから上流側に進む。
渓谷の雰囲気の流れの中には貴船の川床のような台が設けられ、座って足を清流
につけている人、網で魚を探す子供など夫々涼しいひと時をたのしんでいる。

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150m程進むと左岸の遊歩道は行き止まり、そこから先は川の中の苔むした飛
び石。

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 足元に気を付けながら飛び石を進んでいると水辺のカラーの白とアジサイの淡
青に暑さを忘れる。
上流側の小さな橋の横から双子の女の子とお父さんが足のくるぶし程の深さの流
れの中を歩いてきた。

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広瀬橋から泉橋までの僅か250mにも満たない水辺の遊歩道だが街中とは別世界の
清流の散歩で爽やかな気分になった。

途中の解説板によると
・源兵衛川は富士山からの湧水を源流とする全長1.5Kmの農業用水路で昔は川沿

   いの多くの家々にはカワバタ(川端)が備わり生活用水として使われていた。
・昭和39年以降、上流地域での産業活動の活発化により地下水が汲上げられ、
 雑排水の流入やゴミの投棄も加わり、環境悪化が進み源兵衛川を暗渠にする計
 画も検討された。 
・平成4年にグラウンドワーク三島が結成、地道な環境改善活動が続けられ、
 平成28年に国際灌漑排水委員会の「世界灌漑施設遺産」に登録されるように
 なった。

地域の人々の絶間ない環境改善活動のおかげで人工とは思えない野趣豊かな水辺
の散歩を楽しむことができた、梅花藻の花が見られる時期にはもう一度訪れたい
川である。

                         R1.7.22

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千葉 村田川源流

 梅雨の時期、雨のない涼しい日を狙って千葉の二級河川村田川源流を訪ねた。

五年ほど前に村田川河口付近の千葉市浜野から流れを遡り中流の瀬又橋まで歩い
た事があるので、今回はそこをスタート地点にして源流方向を目指す。

JR外房線 誉田駅南口より県道128 日吉誉田線を南下、中部紙工の工場横を過
ぎると千葉市緑区から市原市に入る。 道路は村田川までずっと下り坂が続き谷
間に向かって地形がV字断面なっている事が脚の軽やかに動きで分かる。

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源入坂の大きなカーブから 人の気配の無いNTTの電話交換センターを過ぎる
と村田川に架かる新瀬又橋に出る。

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新瀬又橋の上流にある川崎橋から先は整備された堤防法面と散歩に適した土手道
が無く、源流方向を目指すには流れから草叢を隔てた森の裾に沿った道を進まざ
るを得ない。

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農道を歩いている内、時折 雑木に囲まれた村田川を横切るが、水面近くまで草
に覆われ水面と岸との境が分からない。

イノシシ捕獲用の檻罠が仕掛けられてある雑木林の間を抜けると田圃が広がり、
毛足の長い緑の絨毯のような水田の周囲は電気柵で囲われ所々に小さなソーラパ
ネルを備えたセキュリティ機器が設けられている。

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水田を跨ぐ千葉外房道路の下を進むと再び千葉市緑区に入る。

越智ポンプ場の先、大藪池に繋がる水路脇で雉が一羽、草叢を散歩、近くの東亜
燃料販売店の前ではガスボンベで作られたユーモラスなロボットがご愛敬。

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大橋という小さな橋の先に突然サイロとスレート屋根の建物が出現、中に乳牛が
ひしめいている。

善徳寺前を過ぎ大木戸橋の辺りに来ると川幅が広がり護岸がしっかり整備され欄干
に しっかりと二級河川村田川の標記。

土気駅前から下ってきた公園通りの新大椎橋が川のはるか上を跨ぎ、その下の淀
んだ流れに亀が浮かんでいる。

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ペット霊園前から万集山長光寺、郷土橋を経て県道132 板倉に出る。
板倉から水路のように細くなった流れに沿い東に進むと北の高台に土気あずみ
が丘の住宅地が見えてくる。

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丘の周囲に沿って進み三峰神社の鳥居を過ぎると水辺の郷公園に到着、草叢の中
に村田川の源流の一つの池が水を湛えている。

公園全体が低地で大雨が降った時には池の周りの遊歩道も水没する谷底地形で 
あずみが丘地域の遊水地の役目を果たしているようだ。

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公園のヤマモモの木の下を歩いていると曇天の空から小雨が落ちてきた。

                         R1.7.13

 

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旧古河庭園と六義園

 平成と令和にまたがる十連休となったゴールデンウイークの終盤 東京メトロ
南北線沿線にある旧古河庭園と六義園を訪ねた。

東京メトロ南北線の西ヶ原駅から本郷通りを10分程歩くと旧古河庭園に着く。
門を入って直ぐ目に入るのは黒い石壁の洋館、威圧感のある建物だが白い窓枠が
明るさを呼ぶアクセントとなってそれを打ち消している。

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展望台の東屋に行くと、ベンチには、お喋りをする人や来る途中の和菓子屋で
買ってきた饅頭などを食ながら景色を楽しむ人達がぎっしり。入れ替わり立ち代
わり人が来ては座り、一頻り休憩し景色を眺め出て行く。
 初夏の風に当たりながら回りを眺めると高台にある洋館、斜面地にあるバラ園、
低地の日本庭園と心字池の配置に武蔵野台地の地形構造の一端が実感できる、後
方のビルは女子栄養大学か。
蔓バラ満開の洋館下の花壇を眺めながら池まで降り、下からバラ園と洋館の組合
せの眺めを楽しむ。
ここから裏の馬車道を上がると大谷美術館となっている洋館前の椅子とテーブル
に ここでも沢山の人が初夏の憩いのひと時を楽しんでいた。

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旧古河庭園を出て滝野川小学校前から本郷通りを下る。
学校前の坂はその昔、大炊介坂(オオイノスケ)と呼ばれていた、との解説板がある。

駒込駅で山手線を越し六義園に行く、今日は開いている染井門から入る。

 六義園の池を中心とした庭園は岩崎庭園より起伏が少なくなだらかで開放的
に感じる。

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六義園八十八境の案内板をたどりながら池の周りの妹山、吹上茶屋、藤代峠など
景色を眺めなが散策。
吹上茶屋の奥にある つつじ茶屋で休んでいるとボランティアガイドが客を数人
連れれてきて「この東屋はつつじの木の柱で支えられています・・」などと説明
を始めた。なるほど柱は細くて曲がっているのはそのせいか、と納得。

この東屋の下、池に注ぐ流れが渓谷のような趣の所ではカワセミの姿を待つ人が
カメラを構えているのを見てから起伏が少ない庭園で唯一高台にある藤代峠に上
ると高いところに上がりたい人が沢山いる、その隙間から南面を一望すると、森
の向こうに東洋大学白山キャンパスのビルに円盤を載せたような建物がが見えた。

 岩崎庭園は凛とした雰囲気に気配りを備えた父親、六義園は優しさの中に芯の
しっかりした母親のような印象だった。

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古河庭園の年間パスポートは\280、六義園の年間パスポートは\600
都内9庭園共通パスポートは\2000(何れもシルバー対象で)と随分安い。
私が駒込に住んでいれば購入して毎日でも訪れたいのだが・・・。

R1.5.5

 

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