京浜急行 追浜駅から夏島貝塚通り商店街を進むと神応橋の架かる鷹取川、この
流れに沿って進むと600m程で平潟湾に出ます。
対岸の野島に渡る夕照橋の向うには横浜シーサイドラインのモノレール軌道が湾
を横切る高速道路のように見えます。
夕照橋から300mほど先の侍従川河口から流れを遡り朝比奈方面を目指して歩き
ました。

平潟橋から横須賀街道(R16)の手前、雪見橋の間、遊歩道が整備されていて左岸
には[侍従川と照手姫の伝説]の由来と歌川広重の「金沢八景」の絵と解説が記さ
れたレリーフが20m程の間隔を置いて設けられています。
広重が描いた当時の風景と現在の風景を見比べるのも面白く順に見ながら進みま
した。
ここで紹介されている金沢八景の内、[平潟の落雁]では
干潟のアサリ取り風景の絵に
「跡とむる 真砂にもしの 数をへて しほの干潟に 落るかりかね」の詩が
添えられています。
そういえば今日も干潟にはアサリ掘りの人が出て掘っていました。
横須賀街道の内川橋で川に沿った道は終わるので、住宅街の路を見進み京急本線
逗子線の踏切を渡り北辰神社で再び流れに出会います。

大道小を過ぎ、細くなった流れには鯉が泳ぎカルガモが浮かんでいます。
川沿いの道は途切れたので環状4号道路を進むうち金沢区朝比奈町に入ります。
侍従川はセブンイレブンの先で二手に分かれて山に入っています、少し先に
[朝夷奈切通]の表示が現れました。
ここからは侍従川と離れ、表示に従って民家の間を進むと[国史跡 朝夷奈切通]
の説明板があり、
[仁治元年(1240)六浦津との交通路確保のため路改修を議定、翌年4月から工
事にかかった。・・・鎌倉七口の中、最も高く険阻な路]と解説されています。
協立鉄工の工場の横から急な登り坂となり、横浜横須賀道路の下を潜り鬱蒼と
した木立に囲まれた険しい切通し路にかかります。
入口から15分ほど進んだ所に「右かまくら道、左熊野神社」の石碑とその先に
「朝比奈町鎮守 熊野神社」の立札があります。
せっかく来たので立札に沿って路を左に折れ熊野神社を訪ねました。
鬱蒼とした杉木立の中に思いのほか立派な社が見え、階段を登り行くとスダジイ
の老木の後に小ぶりな社が鎮座し周りの、銀杏、杉の大木などと相俟って凛然と
した雰囲気を感じました。

元の切通し道に戻り暫く行くと観音様の彫られた崖があり、これ過ぎると下り坂
となります。

坂道は湧き水で滑り易いので一歩一歩踏みしめて下ります、熊野神社から30分程
で切通し道は終わり、湧き水は道路脇を流れ太刀洗川となり十二所で直北から下
ってきた滑川(ナメリカワ)と合流します。
バス停十二所神社前から金沢街道に沿って下ります。
明石橋、二ツ橋、泉水橋、青砥橋、大御堂橋を過ぎ、若宮大路の東を下ります
途中休憩した本覚寺では
今月の聖語として
[愚人にほめられたるは第一のはぢなり]と書かれていました。
大町四ツ角から横須賀線踏切を渡ると若宮大路の下馬(ゲバ)交差点
昔 鶴岡八幡宮に参詣する侍はここで馬を降りたとの説明書きがあります。
若宮大路を南下し由比ガ浜海岸に到着、朝比奈の湧き水で始まった滑川はここで
海に注いでいます。

帰路、和田塚駅に行く途中の公園には江ノ電のタンコロ デハ100が置いてあ
るのを見つけました。
H21 .10.17

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汗ばむ陽気の秋分の日、羽村から玉川上水に沿って歩きました。
先ず羽村駅から徒歩20分、多摩川右岸にある羽村市郷土博物館を見学。
入口を入ると正面に黒いグランドピアノのような感じの幅3m、高さ2m程の
機械が据えられています。
[繭検定用自動繰糸機]と云う名前の曾て羽村の地で盛んだった養蚕業を象徴する
この機械は、下部にある浅い槽から水に浸した繭を一個づつ取り出して纏め、糸
を手繰り出し個々の繭から取れる糸の長さ、重さ、太さ、ほぐれ易さなどを測定
するもので昭和39年頃使われていた と説明書きにあり銘盤には日産自動車
繊維機械部と記されてました。
庭園には旧下田家住宅、旧田中家の長屋門、中里介山ゆかりの赤門などがあり
赤門の傍らに地蔵が数体並び元禄十三年の文字が読み取れます。
旧下田家住宅に入ると囲炉裏にくべた薪の煙が子供の頃に匂った懐かしさを感じ
ます。

郷土博物館から羽村堰下橋で多摩川を渡ると玉川上水の羽村堰の少し下に出ます。
始まったばかりの上水の流れの傍らに 窓の無い円形展望台のような物を載せた
青灰色の塔があり、
塔の根元には
[羽村小作間(φ1350)調圧水槽]
有効容量 150m3 地上高 24.75m 竣功 昭和45年3月
製作 日本鋼管株式会社 と記されています。
あの展望台のような物の中は水槽になっているようです。

ここから奥多摩街道を玉川上水に沿って南東方向に下ります。
羽村大橋過ぎて堂橋から右岸へ渡り緑道を進むと、流れには鯉、亀、カルガモ等
が見られます。

緑道は福生加美上水公園を過ぎ宮本橋で一旦途切れるのでまた奥多摩街道を歩き
ます。
福生市役所の近くに清岩院があり、応永年間(1394~1428年)に建立されたと記さ
れています、本堂の前の池の周りに咲くコスモスが秋の風情を伝えています。
角のようなランタンがある牛浜橋を過ぎると五日市線 熊川駅のカーブした駅の
踏切りを通ります。
ここから流れに沿った道が入り組んで分かり辛いので五日市線に沿って拝島まで
進んだ後、徳州会病院横の道で青梅線、八高線、西武新宿線を越えスリーボンド
工場傍の こはけ橋で玉川上水に再会し再び流れに沿った緑道を東に進みます。
玉川上水の流れは西武新宿線立川駅近くになって流れは少しの間暗渠となり、
その上は緑道公園になっています。
ここから玉川上水駅までの緑道の途中には源五右衛門分水の取水堰跡、巴河岸跡
今尚現役の砂川用水などがあり、玉川上水がこの地域の灌漑や水運に活用された
ことが窺えます。
東進する玉川上水は北から下がってきた残堀川と交差しますが、水量の少ない
残堀川の下を水量豊な玉川上水が伏越しで通過し その下流には色鮮やかな錦鯉
が二匹、流れを楽しむように泳ぎ、付近の畑には 元気の良い里芋の葉が盾の如く
立っていました。
H21 .9.23

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上総の裸祭りとも言われる上総一ノ宮の玉前神社を中心とした十二社祭りを見に
行きました。
外房線上総一ノ宮駅前から、あづま味噌のなまこ壁の蔵を見ながら玉前神社を訪
ます。道には注連縄が飾られ太鼓が聞こえ懐かしい祭りの雰囲気を感じます。
屋台が並ぶ門前から境内に入ると神馬に乗った稚児さんが待機しています。
境内の説明板には
・玉前(タマサキ)神社のご祭神は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)で神武天皇の母
・毎年九月十三日に浜降神事としてご祭神由縁の釣ヶ崎海岸に十二柱の神々が集う
祭礼が行われ、古く大同二年(西暦807年)に始まったと伝えられる
と記されています。
玉前神社から北に進み一宮川を渡ると南宮神社に出ます。
普段は厳かな雰囲気を思わせる境内では、銀杏をつけ始めた大イチョウの下で
白鉢巻、腹にサラシを巻いた上半身裸の大人達に混じり白法被に白地下足袋の
子供達が記念の集合写真を撮ったりしています。

太鼓と笛が始まりお神輿の担ぎ手の面々が順々に神主さんのお祓いを受け、
お神酒を含み愈々宮出し。
鳥居を潜り出た二基のお神輿はここから約7kmほど離れた釣ヶ崎海岸目指しマラ
ソンランナーが担いでいるのかと思うようなスピードでスタートして行きました。

玉前神社に戻り、ここからの二基の宮出しも見届けてから釣ヶ崎海岸に向かい
ます。
上総一ノ宮駅前から釣ヶ崎祭典場までの送迎バス乗り場には観客の長蛇の列で
すが小湊鉄道バス、地元の旅館、ホテルの送迎バス等総動員で対応しています。
私の乗ったのは一宮シーサイドオーツカホテルのバスで、途中本来のホテルの
お客さんを客をホテル前で降ろしてから九十九里浜の松林に沿って南下し会場に
向かいました。
東浪見海水浴場の南約1kmにある釣ヶ崎祭典場では玉前、南宮を始め所縁の神社
九基のお神輿が勢揃い、屋根の擬宝珠や鳳凰の飾りが左右に揺れながら進み周り
を大勢の見物が取り巻いています。
白雲棚引く秋空、打ち寄せる波と鳥居がお神輿を引き立てます。

夕方4時にお別れの鳥居潜りが始まり最初に稚児さんが乗った神馬が駆け抜けて
から南宮のお神輿二基が勢い良く潜り抜け、残る神社も順に続き勇壮なクライ
マックスを最後まで堪能しました。
お別れが終わってから帰りのバスに乗ろうとしましたが、乗車位置表示がなく、
来るバス毎に違う場所で乗せているので埒があかず諦めて東浪見まで歩きました。
歩いて15分もすれば東浪見の駅につくかと思っていたら、思ったよりも駅から
離れていたうえ道を間違えたりしたので40~50分かかってしまいました。
道を間違って歩いている途中で宮入に戻るお神輿二基が坂道を元気良く上がって
来るのに出合いました。
H21.9.13

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小名木川と云えば都内江東区にある川の事かと思っていたら千葉県四街道市に
も同名の川がある事を知り尋ねてみました。
京成臼井駅から成田方面に進み[千葉県工業用水道JFEスチール印旛沼浄水場]
の所から左に折れると淀んだ水路、その先に印旛沼が見えます、水路の手前の
田圃では稲刈が始まり、岸に沿ったサイクリングロードには自転車が行き交って
います。
付近に[臼井第2機場]があります。
ここでは農業用水の供給(揚水)と地域の排水を行っていて、特に排水の為に水路
の水位をYP1.2mに維持することで印旛沼の管理水位(YP2.5m)より低い周囲干拓
地や低地にある住宅地域を洪水から守っている、と説明板に記されています。
揚水機:口径φ300(45kw)×2台 水量0.728m3/S 揚程15.0m
排水機:常用 φ400(15kw) 水量0.233m3/S 揚程3.3m
非常用φ1,300(220kw) 水量4.0m3/S 揚程3.5m
これまで気付かなかった水路の役目を知り、非常用排水機の大きさも納得できま
した。
その先の臼井八景[遠部の落雁]の説明には次の句があります。
「手を折りて ひとつふたつと かぞふれば みちてとおべに 落つる雁がね」
鹿島川が印旛沼に流れ込むあたりは昔から遠部(トオベ)と呼ばれていて、この地に
飛んできた雁の列を眺めて指折り数え十になった時、雁は遠部の浜に落ちるよう
に舞い降りた落雁を読んだ歌と解説されています。
[佐倉ふる里ステーション]の龍神橋から鹿島川左岸に沿って練習中のカヌーなど
を眺めながら上流に向かって歩きます。
黄色の稲穂の向こうには京成スカイライナーが滑るように走り抜け、土手には
オオケタデの濃いピンクの花が群生しています。

途中、[金メダルジョギングロード5km地点 裕子コース]の標識がありました
有森裕子さんが練習していたコースでしょうか。
京成線鉄橋、佐倉浄水場、成田街道の鹿島橋を過ぎると佐倉城址公園を回り込ん
で来た高崎川が合流しています。
ゼンリンのデジタル地図には鹿島川に沿って細い道が描かれていますが、普通に
歩けるのはその先の農業組合の取水場あたりまで、それから先の堤防道は夏草が
膝くらいまで生い茂りそれを掻き分けながら進みます。

県道136号の羽島橋を過ぎると前方右側に夏草に覆われた途切れた堤防のような
盛り上りが見えてきました、近付いてみると台形の断面は煉瓦積みになっており
[四街道市指定文化財(有形建造物)総武鉄道物井川橋梁 亀崎橋台跡]と記した
掲示があり、それには次の文が記されています。
____________________________________
現在の総武本線の前身である私鉄(総武鉄道)は明治27年(1894)に市川~佐倉間
で開業した。
物井川の低湿地を通るため軌道敷は盛り土により築堤し、その端部には土留めの
ため間知石を積み上げて翼壁とする。橋梁は鉄(鋼板)桁で、橋台部分は煉瓦造り
である。
煉瓦は長手方向と小口方向を交互に積み上げるオランダ積と呼ばれる積み方で、
天端には笠石風の装飾を施す。橋桁を支える部分は花崗岩(御影石)製の床石を配
して補強している。
橋台に使用されている煉瓦は製造所の刻印が確認できるものがあり、桜の花びら
のモチーフが二種ある。うち一つは、東京の小菅集治監(現在の東京拘置所)で製
造された旧法務省の建物と同じ煉瓦で、日本の煉瓦製造の初期の段階の製品で
ある。
総武鉄道市川~佐倉間は、千葉県内で最初に開通した鉄道路線であり、その当時
建造された物井川橋梁亀崎橋台は県内最古の鉄道遺構として、近代土木技術史上
貴重であることから、四街道指定文化財に指定された。
平成19年3月5日 四街道市教育委員会
____________________________________
という事で以前ここに物井川が流れていたようで、今は築堤の跡にその面影を偲
ぶだけになっています。
上記の文に記されている煉瓦に記された[桜のモチーフ]を探してみましたたが
見つけることはできませんでした。

総武本線物井川橋梁を過ぎ少し進むと物井駅前、その先に小名木川の合流点が見
えました、小名木川は三面コンクリートで囲まれた水路の様相です。
鹿島川と別れ、東関東自動車道を越えてから小名木川の上流に向けて進みますが
流れは暫くの間、柵に囲まれていて近寄れないので少し離れた農道を通ります。
蝉時雨の森の裾に沿って左右に曲がる道の木陰は涼しく、草むらにはオハグロ
トンボ、田圃ではパラソルをさしたコンバインが稲刈りの真っ最中などを眺めて
進むうちに県道66号 小名木坂下のバス停に出ます。
水源は草むらに覆われた池かと思っていたらネットフェンスで囲まれたコンクリ
ートの調整池でした。
H21.9.6

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日経新聞の記事[路線バスの小さな旅]を見て横浜本牧山頂公園に行きました。
横浜駅から市バス26系統 海づり桟橋行きに乗車、花咲橋、雲見橋、紅葉坂、
ときれいな名前の停留所を過ぎ桜木町のバスターミナルに到着、ここから大岡川
を渡り海岸通、山下公園通りに入ります。
乗客の大半が大桟橋、山下公園で降りてしまい車内に残っているのは釣道具を
持った若者だけになります。
暫く運河に沿って走り、貯木場前、本牧埠頭入口を過ぎ、生コン工場、トラック
のシャーシを立てかけた工場倉庫、太平洋セメント工場など次第に街外れの様相
になり、やがて本牧海づり桟橋に到着。
このバスはここから横浜駅に折り返すとの事、チケットを買った時にもらった
地図を見ると市バス26系統は本牧埠頭入口から分かれて本牧車庫まで行くよう
にも読めますが、1本のバスが地図に記載の路線全てを走り通すのではなくて同
じ26系統でも海釣り桟橋行きと本牧車庫行きがあり、初めての者には戸惑いま
した。
本牧埠頭入口まで引き返しR357に出て少し南下、緑深いゆったりした敷地の
パークシティ本牧マンション横の道を進み本牧ホームのかど大鳥中学裏バス停に
着きます。

ここから本牧山頂公園に向かう道はイスパニア通りと名づけられていて、マイ
カル本牧の手前から歩道橋が公園入口まで繋がっています。

本牧山頂公園入口から坂道をゆっくり進みレストハウスの屋根から周囲を見渡す
と東北方向にベイブリッジ、南東方向手前には思い思いにアームを傾けた荷役用
クレーンのアームが林立、遠景に房総半島などが見えました。
ここから、26系統で大桟橋に戻り港内遊覧船に乗ってみました。
大桟橋に停泊中の日本丸、海王丸では丁度帆を畳んでいる最中で遊覧船上から
作業の様子がよく見え、白い作業服に黄色のヘルメットを被った実習生が、水平
に張られたロープの上に乗りマストから水平に伸びる桁に体を預けるようにして
帆を巻きつけていました。
H21.7.20

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梅雨の晴れ間を利用して巴波川(ウズマガワ)に沿って歩きました。
JR宇都宮線 小山駅から巴波川まで約10km程あるので、路線バスで行く事にし
予め調べておいた小山市コミュニティバス(おーバス)寒川(サムカワ)路線に乗りま
す。
やってきたのは20人乗り程のマイクロバス、乗客は私と途中から道の駅まで
乗った小母さんだけ。
この路線は朝夕合わせて4本の便しかありませんが、駅を起点に思川と巴波川に
囲まれた地域の集落を結ぶ住民の足となっていて、あちこちに散在する停留所を
結ぶために県道や農道を右に行ったり左に行ったり、北に上がったり南に下がっ
たり、くるりと一回りしたり、まるで空に散らばった星を一筆描きで結んで星座
にするように走り回り景色を楽しませてくれました。
本当は地元の人の足なのに遊びに来た他所者が40分も乗り料金\150で利用できる
とは運行している小山中央観光に申し訳ない気がします。
イワイオート停留所から巴川の堤防に上がると草むらに覆われたやや広い河原に
古ぼけた緑川橋が架かっている平凡な景色、近くにある[渡良瀬川から3.0km]の
表示を起点に左岸を上流に向かってスタートします。

県道160が渡る昇明橋に中里流量観測所の柱表示があり
[零点高YP+16.8M 指定水位YP+18.8M 警戒水位+19.5M 計画高水位YP+22.31M]
と記されています。
永野川との合流点を見て雷電橋を過ぎ新泉橋に来ると右岸の雑貨屋風の建物の壁
にキッコーマンの琺瑯看板(?)が掲げてあり懐かしく眺めました。

泉橋から右岸に移り国道50(岩舟・小山バイパス)の下を潜り暫く進むと果樹園に
突然若い女性の顔がニョキリ出ていて驚かされます、マネキンの生首を案山子代
わりに5~6首ほど立てていて人を驚かすのに効果あるようですが、カラスには
どうでしょうか。

左岸に戻り県南公設地方卸売市場を見ながら県道153の新蛍橋を過ぎあたりを眺
めると、水の残る青い稲田にカーブを描く用水路 遠景に淡青の屋根カントリー
エレベーターの建物が建ち、蒸し暑さの中の一陣の風のように爽やかな風景が
展開しています。

轍の付いた堤防の一本道は東山魁偉の名画「道」を思い起こさせ、西に薄く
足尾山地の山影が見えるようになりました。

県道36の生駒橋、中村橋 を過ぎると河原は次第に蔓草やイヌムギなどに覆われ
ヒッヒッと虫の声、キョキョと鳥の声、草むらを掻き分けて歩くとバッタが飛び
出して来ます。
県道311の かんさい橋では右岸側;大平町、左岸側:小山市の表示が出てい
ます。
寿橋の手前に川島堰があり銀色に輝くゲート枠と赤い昇降機が新しい堰では堤防
を勢い良く潜り出た水がすぐに直角に曲がり川に沿って滔々と流れています。
ここ迄の間、途中に取水堰が3~4ヶ所あり近くに石碑が幾つかありましたが、
古くて読みとりできませんでしたが、この川島堰に建っている石碑は新しく内容
を読み取ることができました。
記念碑には次のような事が記されています。
・川島堰は美田南部及び清水川土地改良区の受益地413haの農業用水の取水
堰として 一級河川巴波川に昭和15年に設置された
・当時は堰板式で水位調整を角落としで行うため取水操作に支障を来たすなどの
問題 があるので近年2億3千800万円かけてゴム布引製起伏堰に改修した
ゲートに付けられた銘盤には 株式会社井上鉄工所 製造年月070111とあります。

寿橋を過ぎ土手の向日葵や巴川浄水センターを見ながら進み流れはここから左に
ひと曲がり、右にひと曲がりしてJR両毛線と東武日光線に達します。
途中の弁天橋あたりでは 河原の草も刈られて これまでの伸び放題の草むらの
景色から人手の入った落ち着いた雰囲気になってきました。
県道31号を過ぎ、岩下プロセスフードに来ると傍に沼和田用水の流れが現れます
この流れは市内の巴波公園近くの堰で巴波川から分岐された流れです。
栃木市内の巴波川沿いにははリュックを背負いガイドマップを手にした人が歩い
ています。
私もそれらの人達に混じって吉屋信子 生誕110年記念碑、白緑色の旧栃木県庁
を見ながら川沿いに栃木第三小学校まで歩き、ここで流れと別れ東武日光線
新栃木に到着しました。
H21 .6.20

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桜木町から大岡川の流れを遊歩道に沿って遡ってみました。
横浜地下鉄みなとみらい線 馬車道駅近く赤レンガの建物をバックに白い外車
のープンカーが白いタキシードとドレスの花嫁花婿を乗せ止まっている光景を
目にしながら西に行くと横浜ランドマークタワーの見える弁天橋に出ます。


ここから大岡川の流れに沿って桜並木のレンガ敷きの遊歩道が設けられていま
す。
桜木町駅に出入りする電車とモーターボートを舫ってある河口風景、都橋と
宮川橋の間の川にせり出しているアパートのような飲み屋の並んでいる建物、
日の出町駅を出た京急が運河のように淀んだ流れに沿って走る風景など絵の
題材として好適です。



京急黄金町駅を過ぎ道慶橋の近くに[日の出産業]という材木屋があります、
ここの看板に寿司屋の湯呑のように漢字が並べてあります。
但しここの漢字は木偏の漢字が9個、その中の難読、木偏に菊はブナ、木偏に
花はモミジ、というのが分かりましたが木偏に仏だけは分かりません。
堰神社という小さな祠がある山王橋の先、K3号狩場線が上を通過するところ
で西に中村川が分かれて行きます。
左岸に横浜商業高の落ち着い建物を見ながら進むうちに弘岡橋で流れは急角度
で曲がり、水深が浅く砂洲が見えるようになりました。大岡小を過ぎ観音橋で
弘明寺商店街に当ります。
商店街を進むと先に弘明寺の門が見え石段を上がると緑青屋根の美しい本堂が
構えています。
観音橋から更に上流に向かうと川岸に草むらが生い茂り水面にカルガモ親子の
遊ぶのや鯉の泳ぐのが見られるようになります。
与七橋(鎌倉街道)で遊歩道は一旦途切れ、京急上大岡駅手前の線路を潜ると
飲食店の裏側から遊歩道が再開します、所々に黄色い実をつけた枇杷の木が川
にせり出しています。
青木神社の先、笹野橋で日野川が合流していますが大岡川から逸れないように
進みます。
関の橋を過ぎ環状2号道路が見えるところに来ると大岡川水門が聳え立ってい
るのが目に飛び込んできました。
大岡水門の銘版には次のように記されてます
経間:H6.7m×B4.5m 開閉速度:0.3m/min
竣功:昭和56年1月
発注者:横浜市下水道局
施工:大成・銭高建設共同企業体 日東河川工業株式会社

水門のある場所は笹下取水庭となっていて深さ20m程の洪水に備えた貯水池
構造でその壁の東面に大岡川分水路トンネルの直径10m程の暗渠が口を開け
ています。
大岡川分水路建設の碑には
大岡川と日野川流域のの洪水を防ぐ為、昭和44年から昭和56年の間、12年
の歳月と166億円をかけて、この地点から根岸湾に直接放流するために分水路
を建設した、と記されています。
環状2号線横切り笹下釜利谷道路に沿って南下し錦衣(ニシキギ)橋で左右手川が
合流するのを見てから新大橋(栗木二丁目)で大岡川と分かれ、JR根岸線が
見えたところで杉田新道に入り京急杉田駅に向かいましたが、途中 浜中学の
横の切通しは見事で落石防止の表示が印象的でした。
H21.5.30


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ゴールデンウイークの休日、東武野田線の電車に乗り水辺の散歩に出かけました、
空いた電車のグリーンのシートに初夏の陽射しと影が差し込んで寛いだ気分にな
ります。
運河駅から利根運河右岸を西に進み3km程歩くと海から34.75kmの表示がある江戸
川に出ます。
ここから江戸川に沿って上流方面を目指しますが、右岸は広い河川敷公園であま
り面白味が無さそうなので左岸に沿って堤防上の道を進みます。
土手の斜面には菜の花に代わってハルジオンの群生が埋め尽くし目の前で雲雀が
ホバリングしてチーチク囀っています。
途中にある案内の棒杭に深井新田渡し跡の案内が記されていて
「深井新田は江戸時代の江戸川開鑿で分断された地域で対岸に耕作地を持つ人も多
く認可は明治10年6月だが、江戸時代からの古い渡しである」と記されています。

玉葉橋を過き覚貞寺の前を歩いていると まめバス(市内循環バス)が走て来ま
した、淡グリーンのオモチャのようなバスはこのが辺りの風景を引き立てるアク
セントのように感じました。
川の中州のある辺りにさしかかると、堤防の外に木立とレンガ塀に囲われた立派
な二階家と古い蔵の屋敷が見えました。
周囲の風景と調和したバランスの良い建物で、水彩画のモチーフに好適だなどと
思いながら近くに寄ってみると、一階軒の桁だけでも40cm角ほどもあるような
1本材の立派なものが通っている堂々とした建物で
家屋の脇に
[近代化産業遺産 下河岸 枡田家住宅 平成19年11月30日認定 経済産業省]
[登録有形文化財 平成19年10月2日 登録 文化庁]
と記されたプレートがあります。

家の前ではこの屋の老夫婦が植栽の手入れをしておられます。
私がプレートを眺めていると、そのお婆さんがこの家について説明してくれま
した。
①この家はM4年に建てられた築140年の船積問屋の建物で枡田仁左衛門という人が
経営していたのでこの辺りは仁左衛門河岸と呼ばれていた
②以前は家の前の堤防は無くて醤油工場の方からトロッコのレールが河岸まで敷か
れていて茂木さんの醤油(キッコーマン)などを船まで運び東京へ出荷した
③当時この建物の前には今のような堤防がなく家の目の前が江戸川で見晴らしがと
てもよかったが、度々水害にあった
水が出た際は家の前のレンガ積塀の間に板を嵌めて土嚢を積んで対応した
④当時は入口に重い戸があり2階で暮らしていた店の若い衆がそれを開閉していた
そして商いが盛んであった当時の大福帳、店の看板、醤油樽を幾つも積んだ廻船
などの写真も見せて頂きました。
看板には
[下総国 野田今上河岸 内国通運会社分社 枡田仁左衛門] と
[東京 下総野田 毎日早船出帆諸方 船積問屋 枡田仁左衛門] の
文字が残っています。
先ほど見てきた深井新田渡しの頃のこの界隈の賑わいが目に浮かぶようでした。
ここの見学を終えて少し北に進むと
キッコーマンの工場の敷地の一角に堀と城形の建物が見えます、船積み問屋の
建物と対照的に食玩のミニチュアのような印象を受けます。

野田橋を過ぎると河原には枯れ蘆の群生から盛んにオオヨシキリのギー、ジーと
鳴くのが聞こえます。
清水公園から来る座主川排水樋門を過ぎ岩名中学の辺りから川は大きく蛇行し
やがて東武野田線 川間鉄橋に達しました
H21.5.4

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早春の雰囲気が残る遠野を訪れこの地方のかっての暮らしぶりを再現した伝承園
の藁葺き屋根の民家で囲炉裏を囲みながら遠野に伝わる民話を聴いてきました。
語り部は佐々木イセさん(79歳)という上品で笑顔の素敵なお婆さん
「昔あったずもな」と云う語りで話が始まると自然に耳が傾き、目の前に物語の
情景が浮かんでくるような気持ちで聴き入りました。
[河童淵の話]
川の淵へ脚を洗いに来た馬や人を水中に引っ張り込んで溺れさせていた河童が
ある時、反対に馬に引っ張り揚げられ懲らしめられたところ許しを乞いました、
そのお礼に村の火事を消した話
[おしらさま]
娘と仲良くなった馬を殺した親は、結局娘も失い嘆いていると天に上がった娘が
「トドもガガも鳴くでねえ・・・」と言って両親に蚕を遣わした話
[座敷童(わらし)]
長者の家に住み付いていた座敷童がいつの間にか居なくなり、それから色々変事
がおこり没落し、情け深いが貧乏な家に座敷童が住み着くと様子がだんだん良く
なった話
[五徳]
五徳はむかし脚が4本で四徳と呼ばれていた、当時犬は脚が3本だったので
通りかかった弘法大師が不憫に思い四徳の脚を1本犬に譲らせた、四徳は脚が
3本になったが偉いと誉め大師は五徳と名づけた話
今回はこの4つの昔話が語られ 5~10分程で一話終わる毎に、聞き手が
「どんとはれ!」(メデタシメデタシ)と相槌を打つのが打ち解けた雰囲気でした。
この人は話が上手で、昔話だけでなく自分が上京した際、新宿駅のホームであま
りの人の多さに呆然と大きな荷物を持って立ち竦んでいると駅員に「この婆さん、
飛び込みするじゃなかろうか」 とハラハラしながら監視されていた事、隅田川で
見たブルーのテントは何かと見ると傍に自転車やラジオが置いてあり驚いた事
など面白く語ってくれました。
話を聴いてから近くにあるカッパ淵まで脚を延ばしました、曹洞宗常堅寺の横を
流れる蓮池川の畔にある浅い水辺で、小さな祠の前に陶器のカッパの像が建って
いました。
H21.4.28
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栗橋駅前にある静御前の墓を見てから駐車場の中を通っていると運動場になり
「利根の若草ひばり鳴き みのりの幸を恵む水・・・」と栗橋北小の校歌の碑が
見えましたが、今は学校が廃止され[いきいき活動センター]となっていました。
東に進み栗橋小を過ぎると、その昔利根川の関所破りの者を火炙りの刑に処して
いた刑場の跡地に供養の為に建てられた焙烙地蔵というのがあり、そこから少し
上がると利根川堤防に出ます。
この辺りは埼玉県栗橋市と茨木県五霞町との境界で 利根川堤防からは上流側に
東北線の鉄橋、下流側に東北新幹線鉄橋が伺えます。
堤防を降り少し南に下るとスーパーマーケット ベイシアの横に川妻給排水機場
がありその南に権現堂調整池(行幸湖(ミユキコ)が淀んだ水をたたえています。
池に沿って南下し東北新幹線の下、R286が通る霞橋の所は細く括れて権現堂川と
なり埼光ゴムの工場の見える所から又広く池のようにります。
ここから右岸に権現堂桜堤が始まります。桜の花は既に散り果て、昨日の雨で若葉
の匂いが漂っているだけ、時おり黄色い菜の花の群生が輝いて見え良い雰囲気です
が横を通るR4(日光街道)の車の騒音が少々煩わしく感じます。


キューピー工場方面に通じる大平橋を過ぎるとR4と離れるので漸く落ち着いた雰囲
気となり少し行くと権現堂公園に出ます、広いグランドとベンチだけの整備途上の
ような公園ですがトイレや駐車場が整備されているのでよく利用されています。
近くで釣りをしている人の周りに猫が4~5匹まとわりついて釣った魚をねだって
いました。
舟渡橋を過ぎカヌーの練習などを見ながら歩くうちに終端の行幸排水機場に到着、
流れはゲートを隔て中川と接しています。
このゲートは中川が増水した際に開いて水を権現堂調整池に導くとのことで、今日
はゲートが下まで下がった状態で、中川はゲート下端より低く流れていました。
行幸排水機場から中川の外野橋の間、満開の八重桜をたのしんでから中川の流れに
沿って下ります

外野橋(吊橋)を渡り右岸側にでると、一面に菜の花の咲く公園でモンシロチョウが
ヒラヒラ行き来し、ツバメが低く飛び交っていました。
上舟渡橋から幸手市となります、土手道が無いので横の工業団地の中の道を歩き
ますが休日なので車は殆ど通らず清潔な静かな道の様子でした。
人の背丈ほどの鉄製バタフライバルブを入口に展示してある森田鐵工所と年寄が
パークゴルフに興じている雲雀が丘桜泉園の間から中川堤防に出られますが、
少し行くと圏央道工事現場(14.00)があり堤防道をはずれ又工業団地の中の道路
を歩きます。
幸手ひばりが丘工業団地の看板から東に進みます、
園田製作所、サトウ電機、日工ヤック、国分プレス、エースパッケージ、
三菱電機、さしま商店、金井製作所の工場群が続きます。
シール堂印刷の裏手から流れに出て暫く行き宇和田公園橋あたりで中川は幸手
放水路を分岐して90°曲がり南下します。
私はそのまま幸手放水路に沿って直進し江戸川に繋がる中川上流排水機場に出て
から浅間橋を渡り江戸川堤に出ました。
排水機場の手前に浅間神社(幸手市西関宿1)の小さな祠があり、江戸川の舟運
が盛んな頃、ここに船関所が設けられ繁栄していたと記されていました。
江戸川河川敷の広々とした眺めを楽しみながら関宿橋まで進み帰路はここから
バスで東武動物公園まで出ました。
H21.4.18

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八千代緑が丘駅近くの東葉高速鉄道の車庫の横から流れ出る花輪川に沿って少し
行くと吉橋の里山にでます。
花輪橋を渡り右岸の遊歩道を進むと浅い花輪川の中に黄色い芥子菜の花が咲き
黄色い帯になって桑納川との合流点まで続きます。

途中にNPO法人八千代オイコスの活動看板があり、花輪川で見られる下記の
魚類、昆虫、鳥、植物などが紹介されています。
魚類:モツゴ(クチボソ)、ヨシノボリ、ドジョウ、ウキゴリ、アマガエル、メダカ
スジエビ、アメリカザリガニ、サカマキガイ、ヒル
昆虫:マツモムシ、ヤゴ、ゲンゴロウ、コオイムシ、ユスリコ、ミズカマキリ、
タガメ、アメンボ、タイコウチ、ギンヤンマ
鳥類:カワセミ、カルガモ
植物:ヤナギモ、ササバモ、オオカナダモ、セキショウ、ガマ
こんな小さな川の流れにも随分沢山の生物が関っているものだと感じ、その気に
なって観察していると桑納川(カンノウガワ)に注ぐ付近のコンクリート堤にカワセミが
川面を凝視しているのを見つけました。

桑納川は枯枝も折れて愈々新緑が芽生えてくる雰囲気、水面にはオオバン、カル
ガモなどが浮かんでいます。
桑納川が印旛沼から来た新川に注ぐ地点からからR16の方面にに少し遡り
[道の駅八千代]で昼食休憩、ここはR16の人気スポットらしく何時来ても満員で
野菜や、花を買う人で賑わっています。
[道の駅八千代]から新川の流れに沿って城橋まで下ります、川沿いのサイクリング
ロードの脇には陽光桜の濃いピンク花が列となって楽しませてくれますが植樹して
6~7年目の若い樹なので箒を逆さにしたような樹形が並び少々単調です。

城橋を渡り対岸に渡ると貫禄あるソメイヨシノの古木が天空一杯に花を広げてま
した。
更に下り宮内橋の道を西に進んで突き当たり、急な高い階段を登るとが飯綱神社、
緑青の吹いた大きな鐘楼、と芽を付け始めた女銀杏の大木などを見て隣の公園に
出ると、周囲の桜の下で老人会ののカラオケ大会や、家族連れのバーベキュー等
夫々賑やかに楽しんでいました。
H21.4.4
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JR成田線木下(キオロシ)駅から南手賀沼に注ぐ金山落に沿った今井の桜並木を訪ねて
みました。
今井の桜並木は会社の同僚に教えてもらった”手賀の里山にある知る人ぞ知る桜の
名所”との事で、駅から手賀川に出て右岸に沿って沼に向かってスタートしました。
成田線鉄橋、六軒大橋を過ぎると弁天川の分岐に当たります、弁天川では水辺に置
かれたコンクリートのブロックに亀が2匹並んで甲羅干しをしていましたが私の足
音でポチャリと水に飛び込んでしまいました。
弁天川を渡り関枠橋に来ると 橋の袂に石碑があり
はるけくて えはかざりけり沼の上か
近づき来る鷺にもありけり 牧水 の歌がありました。
暫く行くと南手賀沼から来た流れとの合流点になり、その先の発作橋(ホッサク)を渡り
本流に沿って進みました。
周囲の畑ではトラクタが土起こしをして土が黒く盛り上がり、岸辺では並んだ釣
人が時おり鮒を釣り上げ、川面には黒い体に鼻からクチバシにかけて白いのが特
徴のオオバンなどが浮かんでいます。
土手の枯葦は茎ばかりのスケスケなのでバードウオッチングにはよさそうです。
浅間橋、水道橋と過ぎても一向に沼らしい様子は無く何時までも川の様子が続き
ます。
やがて手賀曙橋に到着、ここに休憩所が設けられ、案内板にはこれまで辿ってきた
のが手賀川、ここから西が手賀沼と記されていて、手賀沼自然ふれあい緑道の地図
が記されています。
ここに来てやっと、南手賀沼を目指していたのに北手賀沼に来てしまったことに
気付きました。
思えば発作橋のところで、注いでいる流れを亀成川と勘違いして橋を渡ってしまっ
た事で道を間違えてしまったのでした。
方向転換して南下 手賀の丘公園を通り、JAふたば手賀から坂を下り目指す今井
の里山に着くことができました。

春の小川の童謡の歌詞のようにサラサラ流れる金山落の流れには頼りなげな角材を
渡しただけの橋などがあり、菜の花が咲き始めた土手には桜並木が続き和やかな
里山風景です。
訪れた日は蕾ふくらむの状態でしたが数日もすればここを紹介してくれた同僚の
写真のような眺めになるので、また訪ねて見たいとおもいます。

今井の里山から金山落にそってコデマリの白、レンギョウの黄色などを目にしなが
ら新鎌ヶ谷まであるきましたが、金山落を辿って行くと段々細くなり やがて北総
鉄道の下を潜ってから初富の方に消えて行きました。
H21.3.21
PS(H21.4.9)
絶好の花見日和の日、会社の昼休みに今井の桜見物に出かけました。
車で約7~8分で現地に着きます。
手賀の丘公園に連なる暗い緑に新緑の混じり始めた森、それに続く水を入れる前
の田圃を背景に満開の桜並木と菜の花、中を流れる金山落には散り落ちた花びら
が浮かび心和む風景でです。
近郊の方が三々五々花見を楽しんでいる中に入り、会社から持ってきた給食の弁
当を広げ、つかの間の花見を楽しみました。

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嵐が過ぎた早春の一日、越生梅林を訪ねてみました。
東武越生線の終点越生駅はJR八高線との共同駅になっているので東武のホーム
から跨線橋を渡る途中と改札を出る時の2回パスモカードをタッチするように
なっています。
越生から梅園行きのバスが出ていて殆どの人はそれに乗って行きましたが、私は
途中の景色をゆっくり眺めたいので歩くことにしました。
駅前通りの正面の法恩寺に突き当たってから県道を北に進みます、道脇には酒饅頭
の店や蔵の付いた古い家などが並んでいます。
途中の横道に逸れると越辺川(オッペガワ)に出てます、青インク色に光る川面の岸辺
は枯草に覆われたままですが、ほんの少し青みが現れ、その向こうを八高線の淡緑
のディーゼルカーが走って行きました。
県道の途中には製材所、木工所、扇子作りの店など、向こうには背の低い梅の枝に
花が満開、一部分設けられた遊歩道の柵には梅にウグイスの意匠が凝らしてあり
ます。
駅から歩いて約1時間で越生梅林に到着、入口のバス停近くには「梅は越生の青
ダイヤ」と書いてありました。
梅の花は満開を過ぎたようですが園内には、好天に誘われた梅見の人が思い思いの
場所で弁当を広げています。
梅園の外れ近くに行くと 目の前の越辺川の澄んだ水、枯草の岸辺、から 緑かか
った土手と樹、白い梅の花、遠景に青い山並など愈々春の訪れを実感するような景色
が眺められました。
園内には模型機関車のエンドレスレールが敷いてあり、旧国鉄の9600型蒸気機関車
の1/10模型が子供を乗せて走っています。
これは工業高校の実習用の教材だったものがここに提供されたとのことで、線路も
キッチリ整備され機関車用の車庫まで備えてありました。

野外ステージから笛太鼓の音が流れてきました。
これは越生囃し実演とのことで、舞台では横笛、大太鼓、小太鼓の軽快で賑やかな
伴奏にのって翁、白狐、ヒョットコが順に舞い踊り、赤獅子、金獅子が客席を練り
歩いて口をカタカタ言わせて子供の頭を噛みに行ったりしてサービスしています。
なかでも大人2人と子供1人のヒョットコおどりはユーモラス、特に子供のヒョッ
トコは可愛い仕草で見てるだけで楽しくなりました。
踊りが終わってから出演者が舞台に勢ぞろいしたのを見ると、サービス満点の獅子
舞には女子学生が入っていました。
H21.3.15

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5年前、冬仕舞に近い冴え返る一日、鶴見川河口から上流へ流れに沿って歩きま
した。
飲食店、惣菜屋などで賑やかな京急生麦駅前から第一京浜道路を渡り暫く南下、
日産自動車手前で左に進むと生麦街道にでます。
初午際の幟の立つ道念稲荷神社を過ぎると通りに生麦の魚市場。正面に緑色の
ガードがありJR鶴見線の国道駅に黄色い電車が停まっています。

鶴見線に沿って少し進むとと鶴見川の河口に出ます。
臨港鶴見川橋から右岸の遊歩道を進みます、潮鶴橋を過ぎ大きくカーブした道に
沿っている内に降っていた雨は霙交じりになってきました、堤防にはカモメや鳩
が雨の過ぎるのをじっと待っています。
芦穂橋、鶴見橋を過ぎ、京浜急行の鉄橋が現れ、赤い電車が快速で通過して行き
ます、近くにサムスンと書いたビルがありますが韓国の電気メーカーでしょうか。

JR東海道線、横須賀線のガードを潜ると 右岸に森永製菓の工場が見えます、
私が時々食べる黒ゴマプリンはここで作ってるのだろか 等とつまらない事を
考えながら通り過ぎます。
新鶴見橋、末吉橋を過ぎ鷹野大橋にかかるあたりから岸辺の枯れ芦が目に付く
ようになりなり、左岸に矢上川が流れ込んでいるのが見え、ここから河川敷が
広く草原のようになってきます。

目の前に頑丈なコンクリート製の橋が見え東海道新幹線がスーッと通過して
行きました。
左岸に綱島のビルが立て込んでるのが見え大綱橋に到着したところで本日の
予定コースは終了。
東急綱島の駅のマーケットの入口に 瀬戸内 と言う店の案内が出ていたので入っ
てみました。
定食は700円で カツ煮、ブリ大根、イワシの生姜煮、ハンバーグなどから
一品、それにサトイモの入った味噌汁、と小鉢2品が選べ家庭のような昼飯で充実
していました。
H21.2.27


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武蔵野線 東川口駅から線路沿いに西に進むとU字形に流れる見沼代用水東縁の
二ツ橋に出ます、U字形の内側は川口自然公園で葉を落とした木々が聳える園内
の池では釣糸を垂れ人が3~4人居て静かな冬の休日風景。
冬田の中を武蔵野線の8両編成の電車が軽やかに走るのを眺めながら用水の流れ
に沿って下ります。

少し先、見沼通船堀との接点に木曾呂富士塚があります。これは寛政12年
(西暦1800年)丸参講の信者 蓮見知重の発願で作られたもので高さ5.4m
直径20mと案内板に記されています。
登ってみると途中に小さな鳥居と祠、上には木立に囲まれた土俵位の空き地が
あるだけでした。
左に木曾呂斜面体の雑木林、右に畑を眺める桜並木の緑道は緑のヘルシーロード
と名付けられています。
この緑道は行田市の利根大堰地点~川口市グリーンセンターの間 56.5kmに設け
られている と説明板に記されています。

用水は東京外環状道路を過ぎると蛇行を繰り返しながら流れるようになります。
根岸水位調整ゲートを過ぎると門前に公孫樹が聳える妙蔵寺の前に出ます。
今月の聖語を見ると次の言葉がありました。
「仏法は体(タイ)のごとし、世間は影のごとし、体(タイ)曲がれば、影斜めなり」
グリーンセンター脇を通り、的場水位調整ゲートを過ぎると北側から流れて
きた毛長川が伏越しています。
川口市赤井三丁目の辰井公園に入ると中程に台座があり三体の獅子頭が据えられ
川口市無形民族文化財[江戸袋の獅子舞]とあり、鋳鉄鋳物製で少し錆が出ていて
赤獅子の様相。
周囲の欄干、植木プランターも鋳鉄製で流石に鋳物の街の公園です。

その少し先に紅白のダンダラに塗り分けた釣竿のようなアンテナが空に向かって
突っ立っています、近づいて見ると文化放送送信所でした。
細く頼りなげに見えるアンテナも直径50cmの鋼管で地上高さは136.69mと記されて
ました。
首都高速道路 川口線を過ぎると淀んだ流れになります、川沿いにはプランター
が備えられ景観向上に努められています。
辰井水位調整ゲートを過ぎ東京いすゞの建物の先で また毛長川と交ります、
見沼代用水東縁の水の大半は毛長川に落ち、残りがその先の見沼親水公園に流れ
て行きます。
ここから、毛長川に沿って歩いていると、川沿いのフェンスに手のひらほどの幅の
分厚い生地で出来た長い帯が何本も巻きつけるように干してあります、何かと
思ってその前の建物を見ると境川部屋の看板が掲げてあります、するとこれは力士
の廻しでしょうか。
横手堀ポンプ場、辰井川排水機場を過ぎると東武伊勢崎線の高架にスペーシアが
走るのが見え、竹ノ塚駅に到着しました。
H21.2.11

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数年前の冬のある日、松並木に惹かれ綾瀬川に沿って歩きました。

東武伊勢崎線 松原団地駅から東に少し行くと日光街道、そして並行する綾瀬川
に出ます。
綾瀬川の右岸に沿って草加松原遊歩道が設けられ、駅前通りを跨ぐ歩道橋が百代
橋と名付けられた太鼓橋で芭蕉が旅した頃の趣を表しています。

草加松原を眺めながら下流に向って進むと谷古宇橋(ヤコウ)の先にも矢立橋という
太鼓橋あり公園となっています。
このあたり西側から伝右川が並行して流れるようになります、公園横の神明排水
機場で水の管理をしていますが、昔は甚衛門堰が両川の水量の調節をしていたと
のことで その美しいアーチ形の水門が公園内に残っています。

松原の遊歩道は古綾瀬川が合流する八条大橋で終わり、ここから普通の川沿いの
道になります。
手代新橋で草加からの道と交わった後、柳之宮橋を過ぎるとカモメが川面で休ん
でいるのが見え、海から14キロと指標に記されています。
都内足立区に入り右岸に花畑アパートを見ながら進むと伝右川排水機場のゲート
が目立つ毛長川、伝右川、綾瀬川の三川と八潮市から来た水路の合流点に達しま
す。
栗原工業の前を進み浮花橋に出ると行く手に高速道路6号三郷線が見えはじめ、
足立第十三中学横の花畑川に通じるゲートから高速道路に並行した真っ直ぐな
水路となります。

環七道路と交差するところが交通渋滞情報でよく聞く高速の加平出入り口で、水面
の上を巨大な鋼材の桁がが大きな弧を描いています。
ここから先は西加平歩道橋を通り川から少し離れて歩きます。青井と言う駅への
案内標識がありますが、ハテ何線の電車なのかと思ったら 地下を通っている
つくばエクスプレスの駅でした。
常磐線の鉄橋の下を潜り東京拘置所を過ぎると 荒川が迫ってきました、しばらく
行くと京成線がトラス一つの鉄橋で綾瀬川を渡っていました。
H21.1.11

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2年前の正月、童謡「春の小川」の舞台と伝えられる渋谷川に沿って歩きま
した。
スタートはJR中央線千駄ヶ谷駅近くの新宿御苑正門とし四谷第六小学校の横か
ら小さな公園を抜けて外苑西通りに沿って南下しました。
中央線の下を潜り左手に国立競技場を見ながら遊歩道を進みます、途中東京オリ
ンピックの記念プレートの掲げられているのが見えました。
霞ヶ丘団地交差点と神宮前3交差点の間を南西方向に入る道が川の跡と推理して、
それを辿ります。
川の流れそのままの曲がりくねった道には個性ある建物が狭い敷地のなか一杯に
ならんでいます。

裏原宿の賑わいの中を南下し表参道を横切るとやがて明治通りに出ます。
山手線に沿った細長い宮下公園、東急百貨店、東急渋谷駅を過ぎ明治通りを跨ぐ
歩道橋から漸く渋谷川が見えるようになりました、川底には水は殆ど流れていま
せん。

渋谷川に沿って明治通りを進み渋谷橋から恵比寿ガーデンプレイスに寄り道、
落ち着いた雰囲気のビヤステーションで飲んだエビスビールと焼きたてのラム
ジンギスカンは空腹にたいそう御馳走でした。
渋谷川に戻り恵比寿橋の辺りから川底に水が溜まり少し川らしくなります、左岸
に沿って明治通りが走り、右岸には あいおい損保の明るいテラスが設けられた
りして歩き易くなっています。
新豊沢橋、回生橋(広尾病院前)と過ぎ明治通りと外苑西通りが交叉する天現寺橋
の緑色の橋桁の下に笄川(コウガイ川)が合流するのが見えます。
そして清流の復活の碑があり、渋谷川はここから古川と名前を変えます。

狸橋、三光児童公園、北里大学、五の橋を過ぎ明治通り沿いに日本ピローブロック
の本社が見えました、ここのFYHマークの軸受は、機械設計をやっていた頃に
しょっちゅう使っていたので懐かしく感じました。
四の橋、新古川橋、古川橋と過ぎると 一徳商会、大豆生田金属 など珍しい名前の
会社の看板が見えます。
右岸の裏道を行く内に川沿いの道は無くなってしまったので横道に入ります。
入口の掲示板に [這え喋れこれから二歳の春になる] と書いてあった龍源寺を過
ぎ暫くすると坂道になり、右は鬱蒼とした植込み、左は厳かなレンガ塀のお邸風
の建物で、上がり切ってみると三井倶楽部とオーストラリア大使館でした。
ここから神明坂を下ると目の前に東京タワーが現れ、下り切ると古川の中の橋に
出ます。
そして国道一号線と交わり赤羽橋、日比谷通りと交わり芝園橋、ブルーに輝く
住友芝公園タワーの下には [世界平和研究所]と看板を掲げた名前の割りには
少々貧相な家がありましたがどんな研究をしているのか興味あるところです。
将監橋(ショウゲン橋) を過ぎ第一京浜と交わる金杉橋から下流には屋形船が
係留されていて、その先にJR浜松町を出た電車が走るのが見えるようにな
りました。
JRの線路を潜り浜崎橋で運河を渡り日の出桟橋に到着しました。
H21.1.2

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師走の休日、中川下流に沿って歩きました。
JR総武線 新小岩から中川放水路を上がり淡青色の上平井水門に着くと左手に
首都高速道路中央環状線の葛飾ハープ橋の幾何学模様が空に浮かぶ雲を掬い取っ
ているように見えます。その横には綾瀬川の合流点があります。

すぐ先の上平井橋を渡り、ここから七曲りを始める中川の右岸に沿って遡ります。
中川の両岸は高い護岸でがっちりガードされ、護岸の外側は遊歩道になっており
車輌の通行が無いので景色を楽しみながら安心して歩くことができます。
川面には平べったい艀が急カーブを器用に曲がって行き来し、その度 波が岸に
打ち寄せています。
平和橋の先、川端南児童公園に石の鳥居と小さな祠の川端諏訪神社があり、由来
には享保15年(1730)に水の守護神として水波能売神(ミズハノウメガミ)を祀ったと記さ
れてありました。
中川七曲がりの四曲がり目に東立石緑地公園が誕生していました、この公園は
アスレチック、長い滑り台、籠のついたブランコ等の子供向けの楽しい遊具が
整えられていると共に災害時の避難場所として地下雨水貯水槽(40t)、防災倉庫、
緊急用船着場などが備えられています。
入口には節分のネジリ飴を立てたようなモニュメントが回っています、Panasonic
製で上にはソーラパネルが設けてあり、太陽光発電と風力で得た電力を動力として
裏面にその時々の発電力が液晶表示され、薄曇の微風のこの時、ソーラ発電112W、
風力発電1Wと出てました。
トイレの外側の壁に本田小 川端小 H19年度卒業6年生の[学校の思い出]と題す
るタイルに焼いた絵が貼り付けられていて、その中に教室の先生とクラスメートの
様子を描いた絵がとても楽しげで印象に残りました。

中川七曲りに沿ってゴムの工場が3軒もありました、事務所入口に風船が掛けて
あった[ライオンゴム]はその通り風船の製造、[亀戸ゴム]はスポンジシート、
[藤岡ゴム]はシリコンゴム製品でパッキン用Oリング等を作っていて、最初は何の
工場か分からなかった[協和モールド]はゴム成型用金型のメーカーでした。
本奥戸橋で一旦川筋から外れ奥戸街道を西に少し行き、立石仲見世商店街をのぞ
いてみました、揚げ物、鮮魚、干物、惣菜 もつ焼き 佃煮 人形焼、さつま揚、
キムチ・・・等の店が集うアーケードの天井からは地元の小学生が作った沢山の凧
がぶら下がって活気溢れている市場でした。

奥戸橋、青砥橋を過ぎ河口から七曲り目となり新中川との分岐地点となりました。
七曲りの間、延々と続く護岸には中川右岸建設工事の施工記録プレートが100m
おき位に埋め込まれてあり、それに施工年月 施工会社 施工範囲などが記されて
いて順に見ていくと1970年代後半~1980年代前半 数社に別けて施工されたのが分
かりました。
7年前に来た時には工事中であった高砂橋斜張橋は立派に完成し、ワイヤーロープ
を束ねる中央支柱の廻りが張り出しとなり京成中川鉄橋を走る電車を見物するのに
恰好の場所になっていました。
H20.12.13

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東武東上線 霞ヶ関駅前の名所旧跡案内板には霞ヶ関遺跡や、鯨井の万作祭り等
が紹介されていて、昔この地方の行政の中心地で農耕も盛んな土地であった事を
示しています。
駅から東に15分ほどで入間川に出ます、左岸の広い河川敷は上戸(うわど)公園、
右岸には川越・狭山サイクリングロードが走っています。
小学生サッカーの試合で活気ある公園を見ながら流れに沿って左岸堤防を北に歩を
進めます。

大きな川なのでこの辺りでは500m~1km間隔で幹線道路の橋が架かっています、
川越橋、雁見橋と過ぎ、河原は仄白い穂を載せた一面の枯れオギや葦にヒヨや雀が
休んでいます、時折オレンジの体が特徴のジョウビタキも見えました。
ラジコン飛行機が軽やかに飛んでいるのを眺めながら進むうち流れは東に90°曲
がり落合橋を過ぎて堤防に上がると左側に越辺川が平行して流れてきました。
川越高校の見えるあたりでは北側は鬱蒼とした森が迫る越辺川、南は明るい河川敷
を控えた入間川と絶妙のコントラストです。


2つの川の合流点の手前にR12川越・栗橋線の釘無橋が架かっています。
この橋を右岸側渡り切り道路が地上に降りるまで200m程行った所にホンダ製菓
の工場があり 鉄火焼あられの看板が出ています。
入間川右岸に堤防に戻り、海まで53kmの表示を見てからサイクリングロード沿
い進むと、無線ミニカーのレース場があり指揮台の上で3~4人の若者が立って愛
車を操縦しています、猛スピードをだすのでコーナーにかかった車は横辷りを繰り
返していました。

やがて堤防右側川越工業団地が現れます、今日は土曜日なので殆どの工場が休みの
ようで、薄く煙りが出ているのは清掃センターでしょうか。
工場の看板を見るとPRIMIXとかEXEDYとか馴染みのない会社名が表示さ
れています、外資系の会社だろうかと思いましたが、家に帰って調べてみると
PRIMIX(プライミックス)社とは工業用攪拌機で知られた昔の特殊機化工業、
EXEDY(エクセディ)社とは機械装置用クラッチで知られた昔の大金製作所が
飛躍を期して社名を変更した姿でした。
流れは南に曲がるとR51入間大橋で橋の袂の欄干には川越ゆかりの五百羅漢や
時の鐘のレリーフが飾られています。
入間大橋を渡ると上尾から南下してきた荒川と挟まれた中老袋の堤防になります。
狭山からのサイクリングロードはここで終点ですが、この堤防を南北に走る荒川
サイクリングロードと接続されていて、自転車がスイスイ通過して行きます。
堤防と入間川に挟まれた河川敷ではソフトボール、荒川と挟まれた河川敷では
モトクロスの練習場でバイクの集団が狭い起伏を上下している様は山アリが忙
しなく動き回っているようにも見えました。

ここから暫く行ったゴルフ場を見下ろす場所で昼食の握り飯を食べていると
入間川河川敷から荒川河川敷へコース移動中のキャディさんから、「おいしそう
ですね」と声をかけられました。確かに広い整備されたゴルフ場を眺めながら
の食事は気持ちよいものです。
ここから少し南下し入間川が荒川に合流する手前にR16が上を横切り上江橋
が架かっています。この長い橋を下流にかかる川越線の鉄橋を見ながら渡り切る
と川越市から さいたま市となりJR川越線指扇駅に到着しました。
H20.11.15

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東武野田線 初石から西へ400m程のNTT十余ニ社宅の前辺りに畳大のコンク
リート板で覆われた溝があります、地図で確認するとこれが大堀川の末端のようで
す。
このコンクリート蓋の上を辿って暫く歩くと美田2号公園から来た溝と合流して
から蓋がとれ流れが現れます。
流れ沿って暫く緑道が続いてから畑に出ると正面につくばエクスプレスの高架が現
れます。
流れは畑の中を通り南下しますが、沿った道がないので東側の遊水池の方に迂回し
て進みます。
遊水池を回った所にも別の流れがあり これも南下し、やがて北総病院の付近で
2つの流れは合流しコンクリート護岸の都市の川らしくなります。
この間、遊水池ではラグビーボールを立てたような体形のゴイサギが休んでいた
り、つくばエクスプレスの高架下のワンドではオオヨシガモ、カルガモが休んでい
るのが観察できました。
駒木橋から川に沿った遊歩道が整備されていて、行く先々の右岸左岸に樋管開閉
ゲート設備があります。 ゲートの製作業者、昇降機械のメーカーもまちまちです
が、何れもレンガ模様の壁装飾での景観を配慮したデザインです。
駒木の遠上樋管には佐賀の溝田工業製の昇降機があり、その基礎ボルトに御守り札
が結わえ付けられてあり、安全を願う設置者の気持ちが伝わってきました。

青葉橋から桜並木が始まり緑道の幅も広くなります、土手の斜面にはセイタカアワ
ダチソウの黄色とススキの白が続きます。
途中、水の神 龍神信仰に由来する篠龍田三匹獅子舞のレリーフのある新橋の欄干、
礫間浄化施設の説明看板 うなぎの水切り場の解説、などを見ながら進みます。
うなぎの水切り場についてはこんな解説が書いてありました。
「利根川から水揚げされたうなぎは、布施からおよそ1時間、うなぎを一旦馬から
降ろし、台地から湧き出る清流に浸し生気を取り戻させたのがこの付近で、うな
ぎ入れたザルを清水から引き上げて水を切ったことから水切り場という名がつい
た」
更に歩き柏五中のあたりでは水面に直立して小魚を狙っているコサギ、空き地の上
を飛ぶアオサギなどが観察できました。
R16を横切り木崎橋を過ぎるとJR常磐線が見え、北柏橋を過ぎると巨大な送電
鉄塔がそそり立つ小さな公園、アーチの柏ふるさと大橋を過ぎ、手賀沼に到着しま
した。
2年前の秋の思い出です。
H20.11.3

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京王線 中河原駅から鎌倉街道を南下すると多摩川の手前、中河原公園に
[旧鎌倉街道中河原渡し]の説明板があり
「江戸時代多摩川は現在よりも北側の立川段丘崖線の下、現在の市川用水
のあたりを 流れていた、現在の多摩川流域は浅川でこの二つの川の間に
あることから中河原の 名が起こった。
昭和12年に関戸橋ができるまでは渡船場があり、冬の渇水期には仮橋が
設けられ ていた。」
と記されています。
多摩川に架かる関戸橋に出ると、上流に京王線鉄橋、左岸にキューピー、NECの
白亜の建物が秋天に映えています。
関戸橋は新、旧二つの橋が架かっていて、フラットな梁が続く上流側の新橋に対し
下流の旧橋の方は浅いアーチ形の梁が規則正しく連なり欄干の凹みがアクセントと
なって程よいリズムを感じます。

関戸橋を多摩市側に渡り、右岸の川原に下り暫く行くと大栗(オオグリ)川の合流点に
なります、川沿いの掲示板に大栗川に住む魚
[オイカワ、ギンブナ、コイ、モツゴ、タモロコ、ヨシノボリ、ドジョウ]などが描
かれています。
近くに野鳥観察小屋があり、そこで観察できる鳥として
[ユリカモメ、カイツブリ、オナガガモ、コガモ、カルガモ、カワセミ、ダイサギ、
コサギ、セキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、コアジサシ、ホオジロ、
ツバメ、イワツバメ、カワヒラ、セッカ、ジョウビタキ、カシラタカ、ツグミ、
キジバト、 オオヨシキリ、ムクドリ]
などが紹介されています。
合流部を見渡す最先端には望遠鏡付カメラをセットしシャッターチャンスを狙って
いる人達が5~6人陣取っていました。
ここから大栗川に沿って源流方面に遡る形で歩き始めます。

川崎街道を過ぎる乞田川との分岐点となり川には大きな鯉が泳ぎ石の上には亀と鴨
が置物のように並んでいます、川原に下りた小母さんがパン千を切ってを鯉にやって
いました。
新大栗橋で鎌倉街道を横切り、行く手に聖蹟桜ヶ丘のマンションや商業ビルを眺め
ながら進む内、こんもりした崖の木立がが迫ってきて霞ヶ関橋の右岸側に、いろは
坂という急坂が控えています。

宝蔵寺橋で野猿街道と交わり、以後流れはこれに沿うようになります。
野猿街道を少し行ったところに青い屋根の建物に増田抜型の看板が見えます
[抜型]とは何だろうと思いながら通り過ぎましたが、気になって後で調べたところ
[ケーキ作りの際、練った小麦粉を型抜きする原理で、色々な箱容器を組立てる前
の紙や樹脂板に折り目を付けたり切り抜いたりする] との事でした。
新堂橋の先の並木公園では落ち葉の大地ににブランコが大きく揺れ、水彩画の
モチーフにしたいような光景です。

横倉橋に来ると 前方に多摩モノレールが見え多摩センター方面から下って来た
車輌が音も無く帝京大学駅に吸い込まれて行きました。

洗馬川橋(セバカワバシ)から洗馬川緑道が始まりまり、小さなモニュメントが並び所々
石のベンチが設けられて休憩には丁度良いロケーションです、行く先々に小学生の
描いた[ポイステ防止]のポスターが柵に掛けてあり、緑道を大切に管理いる事がわ
かります。
峰ヶ谷戸橋、大栗川橋を過ぎると大田川との分岐点となり、付近は大栗川公園と
なっています。
ここで大栗川と分かれ大田川に沿った由木緑道を進みますが、暫くすると南大沢
日向公園で緑道は終わり、流れも大田橋の先で暗渠になり姿を消してしまいまし
た。
多摩ニュータウン通りに出て、右手にMITUI OUTLET PARKの洒落た店舗群を眺めな
がらイチョウ並木の坂を上がり京王相模原線南大沢駅に到着しました。

H20.10.18
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七年前の秋半ば、西武多摩湖線八坂から野火止用水に沿ってJR武蔵野線 新座
まで歩きました。
八坂から野火止用水(伊豆殿堀)と記された鯉の泳ぐ細い流れに沿い北東に進みま
す。

すぐに西武新宿線の久米川の踏切を渡り、流れは暫く地下に潜り上はレンガ敷の
快適な緑道です。 緑道が新青梅街道を越したあたりから再び水面が現れます。
流れの途中に恩多の水車というのがあり、それをモチーフにに写生していている人
がいました。
野火止用水に沿った緑道はやがて脇に押しやられ野火止通りとなり、小金井街道を
渡り西武池袋線の踏切りを通過すると水道通りという車が多い道になります。
一筋で流れてきた野火止用水は やがて分岐し 左側が本流、右側が平林寺堀とな
ります。

案内板には野火止用水は曾て末端部では四筋に分かれて この辺りの田畑を潤して
いたと書いてありました。
平林寺堀に沿って進んでいくと隅屋敷橋がありここで平林寺堀の流れは天井川と
なって関越自動車道を越して行きます。
この野火止用水は小さな流れにも拘らず流速があり滞る事なく流れいて、地形の高
低差を上手く考えて流すルートを決めてあり設計施工した先人の苦心が偲ばれます。

橋を渡って暫く行くと流れは高台の方に回っていきます、途中に畑があり無人の
野菜販売所ではダイコン、里芋、ネギなど手軽な畑の百円ショップです。
畑に沿った道が終わると平林寺の敷地に出ます、流れは暗渠となってその中に
入っています。
平林寺の総門で拝観料を払うと「平常心是道」と書いた短冊をくれます、中国の
名僧 南泉禅師 の言葉 と書いてあります。
境内には堂々たる茅葺きの門が聳え 木々の中に野火止用水から導かれる水を溜め
た池、裏は墓所で松平伊豆守や野火止用水を作った人物の石碑が建っています。
寺を出て新座市役所の角を左に取り寺の敷地に沿って暫く行くと野火止用水の山下
橋になります。
流れ方向に暫く緑道が続きやがて国道254号(川越街道)と交差したのち流れは
どこかに消えてしまいました。
野火止用水は本来 玉川上水と新河岸川を結んでいたそうですが平林寺から先は
必要なくなったのでしょうか。
更に進み県道を左に行くとJR武蔵野線の高架が現れ、やがて新座駅に着きました。
H20.10.3
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秋の一日、埼玉県日高市の巾着田まで曼珠沙華の群生を見に行ってきました。
西武池袋線 飯能駅から秩父方面行に乗り、東飯能を過ぎると山が間近に見え里山
の風景となります。
高麗の駅では巾着田の曼珠沙華を見に行く人達が大勢降りました、私もその群に混
じり歩きます、細い道には俄のみやげ物屋が出現し柚子、茗荷、紫蘇の実、里芋、
飾り茄子など売っています。
行く手に川があり右岸を少し上流に進み鹿台橋を渡ると高麗川で巾着形に囲まれた
首の部分に出ます、ここから流れに沿って左岸を下ると巾着田に入ります。

高麗川の浅瀬に面した川原では見物の人達が三三五五 弁当を広げています。
目の前に2歳位の男の子と若いお母さんがいて、男の子がお漏らしをしたらしく、
お母さんがその子のパンツを取って、お尻を川の水で洗っています。子供は冷たい
のに平気な顔をしていましたが、その内に脱がせたパンツが川に流され慌てて取り
に行く場面もありました。
流れに沿って先に進むと公園になり入場料\200を払って入ります。
ニセアカシア、クヌギ、等の木立の下に曼珠沙華が群生しの緋色の花が綿雲のよう
に密集しています。

この花の別名は彼岸花ですが、
彼岸花がお墓の横に疎らに咲いている やや淋しげなイメージとすれば、
ここの物は曼珠沙華という名(天上に咲くという意味)に相応しく華やかな佇まい
です。
U字形に曲がっている高麗川に沿って巾着の首へ戻る途中に、高麗郷民族資料館に
通じる歩行者用の あいあい橋があり対岸へ出られるようになっています。
この橋は細い鉄棒と木材を組合せてアーチにしたものでデザイン、色調共にここの
景観によく調和しています。

見物を終えて高麗小学校前からバスでJR高麗川駅に出ました。
高麗川ではアイドリング音を響かせて待機している高崎行のキハ112の2両編成に
八王子行と川越行の電車が接続していました。
H20.9.28

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千葉から小湊鉄道の白子行特急バスで約1時間、終点の一つ手前の停留所
[白子アクア健康センター]で降りると、南白亀川(なばき川)河口の旭橋に着き
ます。
橋の袂に南白亀川遊歩道の案内地図と川の名前の由来などを記した立て札があり
それによると
「平安時代の昔、南方から白亀が白子神社の神体である白蛇を背中に載せてこの
海岸に渡来した事に由る」と記されています。
旭橋を渡り左岸を少し下ると剃金海水浴場(そりがね海水浴場)で、公園には[チリー
津波の碑]、[九十九里地引網発祥の記念碑]などが建てられていて
[チリー津波の碑]には
昭和35年5月23に発生したチリー津波は三陸海岸から九十九里海岸まで押し寄せ
翌朝5時20分頃 南白亀川河口を突破した高潮は県道上1.2mにも達した
[九十九里地引網発祥の記念碑]には
四百数十年前、紀州の漁師 西宮久助が剃金海岸に漂着し、領主長嶋丹後の手厚い
加護に感謝し、熊野のイワシ漁法を伝授しそれが九十九里の地引網イワシ漁法の基
となった
と記されています。
秋とは言え未だ残暑が厳しく海水浴場には波に戯れる人が散在しています。
今日はこの剃金海岸から南白亀川左岸を上流目指してスタートしました。
川岸には釣り人が三々五々釣り糸を垂れていて、目の前で小魚を釣上げた人に聞く
と、今はセイゴとハゼが半々くらいの割合で針にかかってくる との事でした。
砂洲には餌を狙うダイサギ、アオサギ、遊歩道の傍には色づき始めたピラカンサ
延び放題の蔓にピンクの葛の花、取り入れが済んだ田圃から稲藁の仄甘い香りが
風に載って漂ってきます。
R123と交差する虎橋を過ぎ右に大きくカーブして白子町役場を過ぎ、観音堂橋を
渡り少し下ったところに白子町歴史民族資料館があります。
白子町歴史民族資料館には、昔使われていた農具 漁具 祭り道具などが展示され
更に郷土の著名人として 二四代木村庄之助の写真なども飾られていました。
ツクツクボウシの鳴声を耳にしながら土手道を進むと宮後橋の傍に白子神社があり
境内には御神水 南白亀水の井戸があり蛇を背負った亀の口から清めの水が出て
いました。

更に北上すると南日当橋(ひなた橋)、北日当橋、御蔵芝橋(みくらしば橋)と続き
ここから先は堤防に野草が繁茂し土手道を歩くことができなくなるので川に沿った
農道を歩きます。
残暑厳しい道を歩くのは大変ですが下ヶ傍示排水機場(さげぼうじ排水機場)の先
に白幡神社の杜があり炎天下を歩いて来た身に涼しい木陰でほっとします。
杜を抜けて暫くすると大網方面から東に海岸方面に通じるR83と交差する所で
下ヶ傍示橋を渡り農道を進みます。
北九十根橋(きたくじゅうね橋)で南白亀川の流れは西方向に曲がるのでそれに沿
った農道を進んでいる内にコンバインで稲刈りをしている光景に出会いました、後
に中サギが10羽くらい舞っていて虫を狙っています。

堤防沿いの農道を進んでいると工事中の箇所があり迂回する内に道を間違えいつし
か川筋から離れてしまい北飯塚とか柿餅という地名が現れ 先ほど横断したR83に
出てしまいました。
本当は川の源流近くの東金市の雄蛇ヶ池まで行きたかったのですが、暑いし元の川
筋に沿った農道に戻るのも面倒なのでR83をそのまま西に進み途中の仏島から大網
市街の標識に従い北上すると大網小学校の前に出たので旧市街を抜けJR大網駅に
到着し本日のゴールとしました。
H20.9.13

南白亀川 その2 (大網 養安寺)
2日後、今度は南白亀川の源流付近を歩きました。
大網駅から旧市街を抜け、北東に福俵方面へ30分ほど進むと南白亀川は草叢に覆わ
れた細い水路となって現れます、ガードレールだけで区切られているので注意しな
いと見落としてしまいそうです。

水路に沿った道は農道になっていて背丈の高い雑草が生い茂っていた中流部に比べ
歩き易くなっています。
流れ上流側へ少し行くと東金線が見えてきました、田谷第一踏切を通過し右に曲が
った辺りで。釣り糸を垂れている人が居て、バケツの中をみると12~13センチ程の
鯉が二匹入っていました。

所々にこんもりとした杜があり、その麓では刈り入れを終えた田圃に籾殻を焼く
煙が漂い、長閑な里山風景ですが、指呼の間に福俵の密集した住宅が近くまで押し
寄せているのが見えます。
水路は山口で雄蛇ヶ池方面と、養安寺方面に分かれています。
養安寺方面に分かれた流れはここで直角に曲がり、大網白里みどりが丘4丁目の
貯水池に繋がっていて、貯水池の周りは新しく開かれた住宅地になってました。
H20.9.15

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5年前の7月、JR武蔵小金井から京王井の頭線 富士見ケ丘まで玉川上水に
沿って歩きました。
武蔵小金井の駅から北に歩いて1キロ程行くと玉川上水 小金井橋にでます、更に
進むと右側に小金井公園があります。
公園に入ると柵の中に蒸気機関車C57186と狭い窓がズラリと並んだ 客車
スハフ322146が保存展示されています。
夜来の雨も上がった朝の公園では扇を持って太極拳をしている人、ジョギングの人
など広い園内で思い思いに過ごしています。
せっかくなので公園内にある江戸東京たてもの園に入ってみました。
展示室では 映画「千と千尋の神隠し」 のアニメ製作の原画などの資料展示、
屋外には戦前の田園調布の家、常盤台の写真場、三鷹の農家などデザインの優れた
建物や高橋是清の家、西川家別邸などの純日本建築、そして風呂屋、仕立て屋、
文具屋、居酒屋 などちょっと昔にどこでもあったような懐かしい建物が並らび
都電まで置いてありました。

たてもの園を出て 陣屋橋から玉川上水に沿って流れにそって緑道を歩きます、
小金井市は小金井桜 の保存活動と緑道の景観保全に力を入れていて この緑道を
上水桜通りとして 川を囲う柵に桜の花びらをあしらったり、川を越す歩道橋にも
レンガで化粧して風景を損なわないようにしています。
梶野橋を過ぎると武蔵野市になり柵も短冊鉄板の簡素なものになりました。
橋の上から鯉に餌をやっている人を見かけました。
曙橋、くぬぎ橋と過ぎ 境橋で左岸に沿っていた五日市街道と分かれます。
うど橋、桜橋を過ぎると左岸側に境浄水場がずっと続きます 緑道に咲く紫陽花、
オニユリなど眺めながら進みます。
けやき橋の先がJR三鷹駅で、玉川上水の流れは ここから公園の中を流れて
ホームの下を潜って行きます。
駅を斜めに横切った流れはホームの西端を過ぎたところから再び姿を現します。
この辺りは三鷹市下連雀となっています。
風の散歩道と 名付けられた右岸に沿ってしばらく行くと山本有三記念館、入り口
に路傍の石が置いてあり、白い門の奥に邸宅が見えます。

軽い気持ちで扉を開けたら女性の担当者がいらっしゃいませと言ってパンフレット
をくれたので入って見学させてもらいました。
1階のロビーで「路傍の石」の執筆経過を紹介したビデオを見て 洋館内を見て回
り、2階には和室の執筆部屋まで入ってきました。
山本有三記念館を後にして万助橋を過ぎると流れは井の頭公園の中に入ります。
公園の落ち葉道を歩き修道院の敷地か何かで盆踊りの準備などしているのを見なが
ら進むといつしか井の頭公園ともはなれ牟礼地区に入り明星学園、東京女子大 等
を通過します。
途中三鷹台駅へ行く道路と交差するあたりに牟礼橋と言う小さなアーチ橋があり
緑陰とよく調和して絵画のモチーフにしたいような光景です。

左手の国学院久我山高校から生徒が駅に向かって歩いています、京王井の頭線に
接近してきたようです。
そして杉並区久我山2丁目2 NHKグランドの横で 流れは暗渠に入ってしまいま
した、その上は小さな公園風の作り、その先は高速道路になっています。
今日の旅はここまでにして京王井の頭線 富士見ケ丘の駅に向かいます駅の手前に
神田川の細い流れがありここでは玉川上水に比べて周りに緑がないので少々殺風景
です。
駅前の蕎麦屋に入ると先客のおばさん三人連れが居て「今年の巨人は情けない」と
嘆いていました。
そういえば この年の阪神タイガースは星野監督の時代で、今年と同じく大層強く
前日の試合では大量点で巨人を圧倒していました。
H20.7.5
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数々の催し物が開催される東京ビッグサイトは、臨海線、ユリカモメなどの駅が近
くにあるため、バスと船だけの晴海展示場時代に比べてアクセス体制が格段によく
なりました。
しかし気儘なもので何時も臨海線でスッと行くだけでは途中の景色も楽しめない、
と言う事で、逆にバスを利用してみたくなりました。
行きは地下鉄東西線 門前仲町から[海01]東京ビッグサイト行きに乗ります。
清澄通りを少し下り相生橋の手前で左折し東京海洋大から越中島を豊洲運河沿いに
走ります、この裏手に古石場という珍しい地名があり古石場川の跡が親水公園に
なっています。
汐浜運河、汐見運河に架かる橋を通過し右折し豊洲運河を渡り豊洲駅前出ます。
ここから左折して晴海通りを下り深川五中、東雲運河を渡るとイオンショッピング
センターの大きな建物が現れます、この辺りの商店や会社を画いた大きな絵地図を
持っいた乗客が下車しました。
古い地図で見るとこの辺りは三菱製鋼深川工場となっていました、工場が撤退して
新しい商業地域に生まれ変わろうとしているようです。
東雲一丁目の次にジャパンエアーガス東京マネジメントセンターという建物があり
ます、仰々しい名前ですが さて何をする会社なのでしょうか。
東雲都橋から有明テニスの森をぐるりと一周して終点東京ビッグサイトに到着しま
した。
帰りは東京ビッグサイトから[東16]東京駅八重洲口行きに乗ります。
豊洲駅前までは[海01]と同じ、そこから晴海通りを北上し左折して春海橋を渡り
佃島に渡り月島から清澄通りに入り相生橋の手前で左折しリバーシティ21の中を
走ります。
リバーシティ21の高層マンションはこの春、浅草桜橋行きの水上バスを待っていた
時に対岸の越中島から眺めたことがあり、その時は未来的な街のように感じました
が、現地を走ってみるとごく普通の街でした。
佃島を後に中央大橋を渡る時、永代橋や大島川水門が見え隅田川の河口を象徴する
ような景色と感じました。
亀島橋を渡ると八丁堀、目の前に東京駅が見えてきました、終点八重洲口の一つ
手前に通り三という停留所があります、中央通り3丁目を省略した表現でしょうか。
ここで下りる人が多いので私もつられるように降りてしまい、買い物予定の八重洲
ブックセンターへ向かいました。
行きも帰りも30分程度の乗車でしたが運賃200円、何時も通勤に使っている
千葉の過疎地を走るバスの30分乗車の運賃400円に慣れているのでずい分安く
感じました。
H20.6.25
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梅雨晴れの一日、栗山川に沿って道の駅 多古からJR横芝駅まで散策を楽しみま
した。
成田から多古町へのバス便は1日2本だけ、マイカーが無いと行き難いところに
あります(成田空港からの千葉交通バスは土日の便なし)。
訪れようとした日は多古町あじさい祭のイベントがあり芝山鉄道の芝山千代田駅
からシャトルバスの便が利用できました。
芝山千代田駅に着くとあじさい祭りのスタッフの女子高校生のが案内ビラを配って
いて、シャトルバスに乗る際には多古米のプレゼント券をくれました。
小形シャトルバスは略満席でR296(成田街道)を通り約20分程で会場の道の駅多古
に到着しました。
あじさい祭りは多古町挙げての大イベントで、多古大橋とあじさい橋の間の河川敷
公園には、レインボーステージで山高帽を被ったオッサンのノド自慢、竹をコロに
したジェットコースター、お茶の野点などが催され、中高校生のスタッフが総出で
活躍してしています。
目の前の栗山川にはサッパ舟が浮かび、色付き始めた紫陽花や河津桜の緑陰風景を
楽しめます、河川敷を歩いていると小学生の鼓笛隊、時代装束をつけた多古米献上
行列などが通過して行きました。

会場の少し上流の飯土井橋のたもとのベンチで昼食、会場で買った[力玉手箱]と称
する弁当は千葉産の食材を使ったもので
多古米のご飯、三番瀬生海苔の浅炊、鰯のピーナツ揚、鰹なまりの野田ひしほ煮、
豚肉の味噌焼、からし菜とオクラの和え物、かぼちゃの煮物、鶏豚合い挽肉ボウル
の枝豆ソースかけなどが詰められ美味しく頂けました。
会場で多古米(2合)をもらってから多古大橋(R296)を出発、右岸を流れに沿って
南下、紫陽花が並んでいる大きくカーブを描く堤防を歩いていると水田を渡る風が
爽やかです。

黒屋根に白壁二階建ての瀟洒な島揚水機場のある新竹橋を過ぎると、川原は葦原と
なりオオヨシキリの鳴声盛んになります。
5門の鋼製ローラーゲートを備えた篠本堰では釣り人2人にカワウが1羽魚獲りに
熱中しています。

そのまま右岸を行くと多古橋川の分岐口(島第二揚水機場)、高谷川の分岐口があ
り、その都度支流の橋の架かている所まで迂回します。
迂回してから栗山川に戻ると土手道は蘆が密集して歩けず、
農道を進む内に両総第二揚水機場に到着しました。
場内にはS27年~H9年まで使われていたφ1200うず巻ポンプ、現在使用されて
いるφ2600FRPM管(FWパイプ)などが展示されています。
ここから堤防道に戻り歩き出すと自生の紫陽花があり白の花が咲きそろい上品な
風情でした。
横芝揚水機場を過ぎ銚子連絡道路の下を潜り暫く行くと古川が流入してくる所に
到着、ここで今日の終点とし横芝駅に出ました。
H20.6.15

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5月末のある日、静岡県駿東郡清水町の柿田川湧水公園を訪ねました。
沼津魚市場で桜海老の掻き揚げと鮨で昼食をすませてから沼津駅に戻りそこから
三島行きのバスに乗ります、R145を対面石という珍しい地名のところで右折し静岡
医療センターを過ぎるとチラリと柿田川が見えます。
西玉川停留所で降りましたが、公園らしきものは見当たりません、近くを通った
小学生に柿田川湧水公園の場所を聞くと「国道一号に出て、そこにある地下道を渡
らずに右に行きサンテラスと言う店の前だと」一生懸命になって教えてくれました。
公園に入ると第一展望台、第二展望台から湧水が砂を巻き上げて噴出しているのが
見えます、第二展望台では水中の丸い大きな枠の中にインクを水で薄めたような淡
いブルーの水が満ち、水の精が人間に水の恵を与えているような印象で、中に小魚
が数匹泳いでいました。
説明板によればここの湧水量は一日当り約100万トンにも達するとの事です。

湧水広場には その湧水を樋で導いてあり、飲んでみると冷たく美味い水で、プラ
容器をもった人が来てせっせと清水を詰めていました。
午後5時前にここを出て三島駅に向かおうとしましたが路線バスの便は一時間後し
かありません、国道一号は車がビュンビュン通りますがタクシーはまったくなし。
近くに清水町商工会があるのでここでタクシー会社の電話番号を教えてもらい三島駅
に出る事ができました。
今回は時間がなくて公園を少し見ただけでしたが、湧水公園から柿田川に沿い、
それの注ぐ狩野野川に出て、沼津港まで歩くのも楽しいコースだと思いました。
H20.6.6

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3年前、入梅前の晴れ間を利用して北総鉄道 印西牧の原付近を源流として手賀沼
に繋がる亀成川に沿って歩きました。
印西牧の原の駅前からの北に伸びる真っ直ぐな道は貯水池の北端で終わり そこを
過ぎると昔からの曲がった道となり農家の集落や 畑の間を通ります、雨上り直後
の畑から蒸気が立ち昇っています。

坂を下りると貯水池から流れ出したばかりの幅の細い溝のような水路に出ました、
これが亀成川の始まりのようです、両側をびっしり葦が覆い水面が見えませんが
サラサラ流れる音が聞こえます。

葦原のあちこちでギョギョギョ、ギョチギョチ と鳥の鳴き声が盛んですが姿をな
かなか見せません、漸くじっと観察していると枯枝の上に止まっている姿を発見、
持ってきた双眼鏡でじっくり観察します。
野鳥図鑑で調べると[心持細長い嘴、全体が茶色で腹部が白、尾も心持長い]の特徴
はオオヨシキリでした。
里山の景色を楽しみながら進むうち、別の貯水池から来た水路と合流し川幅を広
げ溝のような水路から小川となります。。

木下街道(R59)の手前で千葉ニュータウン中央方面から来た川と合流し更に川幅を
拡げ下手賀沼からの流れに注ぎ込みます。
ここより下手賀沼からの流れに沿って下ると手賀川と合流、手賀川は途中で弁天川
という細い流れと分かれます、弁天川の成田線を越したあたりは遊歩道が整備され
佐原の小野川のような雰囲気です。

弁天川は手賀沼排水機場手前で手賀川に合流し利根川に注いでました。
H20.5.31

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中央本線 高尾駅から小淵沢行き普通電車で1時間20分、勝沼ぶどう郷駅で下車
目の前に光るような緑のぶどうの丘が広がっています。
タクシーで深沢入口の大善寺に行きます、途中見る青々した葉を拡げた葡萄棚には
小さな実を付け始めています、運転手さんの話では葡萄の花は地元の人でも気づか
ないくらいの地味な花で、種無葡萄にするためのジベレリン処理が開花の時期だと
の事でした。
[柏尾山大善寺]
この地は戦国時代、武田勝頼が織田徳川連合軍との決戦の前に訪れ、戦勝祈願をし
一夜を明かしたが家臣の大半が離散し天目山を目指す途中に敗退した、との説明板
に記されています。

拝観を申し込むと寺の奥様が薬師堂を開け、安置されている本尊の薬師如来像、左
右に並ぶ日光菩薩、月光菩薩、本尊を守る十二神像の説明をしてくださいました。
拝観券に「朝 希望に起き 昼 努力に生き 夜 感謝に眠る」と書いてあ
りました。

[勝沼堰堤]
大善寺から甲州街道を東に500m程行くと日川の勝沼堰堤に出ます。
上から見ると浅い川底に丸い石が規則正しく並べられた堰堤の全貌が覗えます。
勝沼堰堤は公園として整備されていて、川の傍まで下りていくと欅の葉越しに堰堤が見え祇園の滝となって落ちる水が爽やかで、川面を渡る頬に風が涼しく感じました。
[大日影トンネル遊歩道]
深沢入口の三叉路から深沢川に沿って葡萄畑の間を700mほど坂道を歩くと大日影
トンネル遊歩道深沢側入口に出ます。
入口に案内所があり左側が旧大日影トンネルの遊歩道、右側が旧深沢トンネルの
勝沼トンネルワインカーヴ、奥に現在の中央線が新トンネルの合間から少しの間出
ているのが見えます。

ここからトンネル内を勝沼ぶどう郷駅側入口に向かいます、全長は1.4Kmあり入る
と勝沼側の入口が小さく見ます。
トンネル内は涼しく、下り坂なので楽です、途中に距離標があり起点東京から
109-1/2(109.5Km)と示されていました。
途中勝沼側から歩いてきた夫婦連れ2組ほど出会い、凡そ25分ほどで勝沼側入口に
出ました。
こちら側の入口は公園として整備のための工事中、中に勾配用電気機関車EF64
が保存展示されており車体側面にフィルターをズラリと並べた姿は迫力があります。
勝沼ぶどう郷駅の駅待合室で飲んだカップ入りの冷えた白ワインは散歩の後の喉を
爽やかに潤してくれました。
H20.5.26

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初夏の一日、千葉の北総地区を流れる神崎川上流に沿って歩きました。
北総鉄道の白井駅からR464に沿って西へ10分程歩き、木下街道(R59)との交差点を
過ぎ坂を下ると、道路の下に神崎川が見えます、道路から降りる道は無いので道路
際のスキマからドクダミの生えているのを踏みながら進むと川の土手にでます。
R464上り線の南側に周囲の小さな水路3~4本から水が注ぎ込む場所があり、そこか
らコンクリート護岸が作られており神崎川が始まっています、川幅は2mほどです。

この流れに沿って里山風景を眺めがら北上します、500mばかり行くと もう一つ
の水源、清水口調整池から来た流れと合流し川幅は3~4mになります。

網を廻らせた梨園ではピンポン玉のような実を付け、川に鯉が泳いているのを見な
がら歩いていると古い石鳥居の鷲神社があるので寄ってみました。
白井市有形文化財指定の本殿に石段を登って参拝するのですが、宝暦八年(1758)製
の石段は踏み面が現在の基準の六割くらいしかないので何回も躓きそうになり危険で
した、昔の人は足も小さかったのでしょうか。

R16の下を潜り、白井中学校横の所沢橋を過ぎると木立の上に白井再資源センター
の黒い煙突が2本見え、おりたて橋で西側からきた水路が合流します。
流れはここから東に曲がり河原子街道を横切り、白井市民プールの手前から南に方向
を変え、白井から上がってきた木下街道(R59)と白井橋で交差します。
この木下街道は成田街道と同様歩道の少ない、あるいは全くない狭い道に大きい車
がひっきりなしに通り特に見通しの悪いカーブでは車が内側へ寄ってくるので歩行
者には大変危険です、今問題になっている道路特定財源はこのような危険な個所の
改善にこそ使って意義があると思います。
木下街道から少し入ったところに鳥見神社がありここにも古い石鳥居があり1713年
に作られたと記されていました。
秋本寺から南下して二重川(フタエガワ)に出て、流れに沿って行くと再び神崎川に出ま
す。
この合流点で水面にカワウ、蘆にホオジロを見、オオヨシキリの鳴声を聞きながら
昼食を摂りました。
頭上は二系統の送電線が接近し離れていく場所に当り、送電線銀座の様相です。

再スタートしてR189の下を通り小室橋を過ぎ鎌倉橋に達すると目の前が北総鉄道、
幅15m程になった流れはここから鉄道の下を通って更に南下して新川に注ぎ、
花見川と名前を変えて東京湾検見川浜に注ぎますが、今日の散歩はここで切上げ
小室駅まで行き終点としました。

小室駅では2010開通予定の成田空港直通運転に備え 特急用追越し線の整備中で、
これが実現すると見られる北総の台地を颯爽と走るスカイライナーが楽しみです。

H20.5.21
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三年前の五月下旬、佐原 小野川を訪ねてみました。
佐原駅に着くと[今年(H17)はアヤメの開花が遅れていて見頃は6月中旬になります]
と駅の掲示板に記されていました。
陸橋で線路を渡り北東に15分ほど歩くと利根川の河川敷緑地に出ます、堤防に立
つと雲雀が羽根をせわしく動かして空を上下し ツバメが急カーブを描き滑べるよ
うに飛ぶのが眺められます。
河川敷の少年サッカーの練習を見ながら少し下るとゲートを高々と開けた小野川の
水門が現れます。
この水門から小野川のに沿った風景を眺めながら散策します。
淀んだ抹茶色の川面は石垣で縁取られ 柳の枝が垂れ川を渡る風が爽やかです、こ
の水辺の風景は栃木の巴波川(うずま) 浦安の境川など、昔の水運や漁業がが盛ん
だった街と似通っていますが、水の勢いのある巴波川、狭い場所に凝縮された境川
とは違った長閑な趣があり、時折エンジンをつけた観光客用の小船が通って行きま
す。

総武本線の踏切を越えて八坂神社の山車会館を見学、ここでは毎年7月初旬に行わ
れる佐原八坂神社の祇園祭などで使われる 山車の紹介をしています。
ビデオでみると大勢で引く山車の屋根の上に歴史上の人物の大きな人形や、わらで
作った鯉などを飾ってあり、結構盛大なお祭りのようです。
川沿いに竹細工の店、正上(ショウジョウ)醤油の佃煮の店など見て歩いている内に 伊能
忠敬旧居の向こう岸で映画かコマーシャルかのロケをやっています。 外人女性と
男性が主役らしく どちらも背が高く浴衣がよく似合っていました。

伊能忠敬記念館に入ると 入口に伊能忠敬作成の日本地図とランドサットで撮影し
た現在の日本列島の図を重ねたのが展示してあります、経度に少しズレがあるもの
の地形は殆ど重なって見事な出来です。
伊能忠敬が大阪へ行った時の旅日記が残されていて、その克明で平易な表現の記録
には驚かされます。
日本の近代化がスムーズに進んだのはこの時期に忠敬のような人が多数輩出したか
らだとも感じました。
H20.5.19
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2年前の五月中旬、JR相模線下溝駅から相模川に沿って小田急厚木駅まで歩いて
みました。
簡素な駅舎の下溝駅からR46を少し南下して信号を渡ると相模川散策路の案内が
あり、木の階段を下りると遠く丹沢、大山を眺め、近くに相模川に鳩川が流れ込む
三段の滝を見ながら遊歩道に入ります。

河川敷の湾処には 私と同年輩らしい人が多数 五月晴れの釣を楽しんでいます。
案内板によれば 相模川は山中湖を水源とし上流は桂川、下流は馬入川(バニュウガワ)
と名が変わるとのこと。
行く先々にこの流域で見られる野鳥観察ガイドがあるので参考になります。

磯部取水門で流れは堰き止められているので このあたりの川幅は広く、堰の中央
部からは堰き止められた水が滔々と流れ、その側部には勾配の緩い魚道が設けられ
ている調和の取れた構造です。
近くに「磯部堰成り相模野潤う」の石碑が建っています。

磯部頭首工公園、眼鏡形の相模川伏越のモニュメントを過ぎ整備された遊歩道を
南下します、時折 サイクリング自転車が風を切るツバメのようなスピードで通り
過ぎて行きした。
座架依橋を過ぎると遊歩道はおしまいとなり堤防は砂利道、横は耕作されています。
手ごろな石があったので座って弁当を広げていると 突然 戦闘機3機編隊が現れ川
の上を飛び去って行きました。
更に歩くと 川原からブンブン音がします、見上げるとリモコン飛行機が3~4機、空を
飛びまわっています、暫く見ていると 又 本物の戦闘機が今度は4機でやってきて賑
やかなこと。
R246新相模大橋を過ぎると土手道を廃品回収業者の作業場が占拠しているので
迂回します、堤防に戻っても 道らしい道はなく藪の中の小道や水際を歩きます。
アーチの水管橋が見えるので、それを目あてに藪中の道を進み細い流れを越すと橋
のたもとに出ます、そこには水道橋横須賀市水道局と表示があり直径φ600程度の
鉄管が一列、対岸まで通っていますトラス橋はパイプだけを通すには勿体無いくら
いの立派なものです。

ここから細いけど涼しげな遊歩道になります、途中に中央連絡自動車道 道路橋脚
工事で大きな橋脚が建設中でした。
小鮎川、中津川の合流点を見て アーチに糸を張ったような あゆみ橋、相模大橋を
過ぎると 小田急の鉄橋が見えてきました
H20.5.15

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2年前の五月初め、潮来を流れる常陸利根川と利根川を結ぶ横利根川を訪ねてみま
した。
JR鹿島線 十二橋(無人駅)で降りると見渡す限り苗を植え水を張ったばかりの
水田が広がっています。

与田浦川に沿って西に進んで行く途中、加藤洲十二橋を回ってきたエンジン付の観
光小舟(サッパ舟)が何艘も通過して行きます。

駅から30分程で与田浦の西端に到着、ここは水生植物園になっていて名物のアヤ
メの花は未だですが、ハナショウブの紫、藤の淡紫が爽やかです。
入口では三橋美智也の「うれしがらせて~泣かせて消えた」の歌が流れ[女船頭唄]
の歌詞を書いた石碑がありあります。
近くにある大利根博物館(分館)には、貝塚の跡、やじり等の展示があり大昔から暮
らし易い土地であったようです。
近代の展示では[大阪 久保田鉄工所]製の農業発動機、屋外には昭和17年(1942)
附洲排水機場(ツキスハイスイキジョウ)に設置された[大阪酉島製作所]製ポンプなどが展示さ
れています
ここから常陸利根川に向かいます、水田の間に縦横に水路がめぐらされ田圃に水を
満たし、畦道には餌を物色中の田鴫が一列にならんでいます。
常陸利根川の堤防に上がり川風に当りながら西に向かうとツグミが飛び出し空に舞
い、葦原ではツピツピと コジュリンが鳴いています。
やがて横利根川と合流する[新利根機場][新横利根閘門]に到着、水門は高々と開け
放され水を注いでいます。

常陸利根川の北利根橋の向こうに広がる霞ヶ浦を見てから今度は横利根川に沿って
進みます。
川の西側を行くことにしましたが、川岸は民家や工場が立ち並びR11(旧R51)を車に
注意しながら進むため川の風景を楽しめません、
それでも所々にコンクリートの船寄せの岸があるので そこを狙って歩くと間近に
鷺が現れたり鵜が潜ってエサ取りをするのを眺めたり結構の野鳥観察ができました。

やがて水管橋が現れその向こうに利根川からの分岐点の横利根閘門に到着します。
大正年間に作られたレンガ作りの美しい閘門は今も現役で周りは横利根閘門ふれあ
い公園となっています。

利根川と横利根川の分岐を見てから水郷大橋を渡り佐原の街に出ます。
この橋は見晴らしはきき 歩くと気持ちが良ろしいが余に高いので少々恐怖を感じ
渡り終えるとほっとしました。
H20.5.10
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ゴールデンウイーク最後の休日、東京湾に残る干潟の一つ、盤洲干潟を訪ねてみま
した。
千葉駅から内房線各駅停車で35分、木更津の一つ手前の巌根駅で降り ふれあい通
りを進むとR87に出て金木橋を渡ります、橋の上から小櫃川が帯のようになって河
口に向かっています。

橋を右岸側に渡りきった所に[畔戸・高州入口]バス停と金田海岸を示す矢印があり
ここから小櫃川右岸に平行する道を海岸方面に南下します。
ブルーのクレーンの立つマリンサポートを過ぎると堤防道を歩けるようになりま
す。
やがて流れが彎曲した先に河口干潟が現れます、干潮の干潟には家族連れが数組入
って潮干狩りをしています。

足元には傘の先で突き刺した跡のような穴が無数にあり、静かにして目を凝らして
いると生まれて間もない稚蟹が出てきてハサミを持ち上げて横歩きを始め、水面に
はスズカモが浮かび水際でハマシギ親子が立っているのが眺められます。
干潟に残る水流跡を渡り敷き詰められた貝殻や角張った栗石をワイヤー蛇篭で包ん
だ囲いの上を辿って進むと広い盤洲干潟に到達しました。
バードウオッチング用に持ってきた双眼鏡で周囲を観察します、正面に東京湾に出
入りする大型船、左手に君津の製鉄所、右手にアクアラインの迫り上がったような
橋桁、その手前に赤や白の模様が動いているのは何かと見れば金田海岸の潮干狩り
でした、上空には館山方面から羽田に向かう飛行機ひっきりなしに通過します。



干潟を囲む広大な葭原に湧く水流の小動物などの観察を終え、金木橋に戻ってから
右岸に沿った農道を上流方面に向かって歩きます、横の藪からウグイスが飛び出し
枯枝の天辺で小さな体から良く通る見事な鳴声を披露してくれました。
東京湾アクアライン連絡道 木更津金田ICの横を潜り内房線鉄橋の下を通り小櫃橋
を過ぎ再度アクアライン連絡道に接近してから袖ヶ浦IC横を潜ると袖ヶ浦排水機場
に出ます。
ここから暫くの間、川に沿ったニセアカシアの白い花が真っ盛りの道を歩いている
と車道に出てにブルーの木更津大橋が現れます。
[有機米の里牛袋]の看板の所からに農道沿って川沿いを歩くと田植えを終えた水田
の横の水路を水が勢い良く流れ、紫のカキツバタが生き生き直立しています。

赤い中郷大橋の横に牛袋川東揚水組合のポンプ小屋があり、エバラのポンプが唸り
をたてて運転中でφ400mm位の取水管から取り入れた小櫃川の水を水路に吐出して
います。
中郷大橋の直ぐ上が小櫃堰、六門のゲート(フローティングタイプ可動堰)の上流に
は満々と水が湛えられています。

上流方向からモーターボートに引かれた水上スキーがやってきて堰の手前で見事な
ターンをし去って行きました、左岸には小櫃堰公園が見え釣り糸を垂らしている人
がいます。
スカイブルーの水管橋に繋がる十日市場浄水場を過ぎると万年橋となり、これを左
岸側に渡ると久留里線 上総清川駅に到着しました。
H20.5.6
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日暮里から舎人ライナーに乗り荒川を渡る時に見える中央環状線の二階建て道路を
通すアーチ橋などの眺めを楽しんでいる内に終点の見沼代親水公園駅に到着。
我々夫婦同様 親水公園の見物に来たと思しき熟年夫婦連れや家族連れが降りまし
た。
駅から舎人氷川神社の前を通って一旦 神領堀親水緑道に出てから少し北に行くと
見沼代親水公園のせせらぎが始まります。
ここから駅のある尾久橋通りまでの間は緑色の水が淀んでいますが、通りを渡って
再開するせせらぎは澄んだ水がサラサラ流れています。

住宅地に挟まれた緑道の流れの両側に楠 欅 八重桜等が植わっていますが鬱蒼
とした杜という感じはなく町内の散歩場の雰囲気で、設けられた東屋では近所の人達
が集まって将棋を指していました。
空いているベンチを見つけ日暮里のコンビニで買ってきた弁当をひろげていると
盛りを過ぎた八重桜が流れに落ち流れに乗って下って行きました。
スタートから2km弱で古千谷橋に出てここで見沼代親水公園はおしまい、終点には
水循環用の大きなポンプ小屋がありました。
地図で見るとこの緑道は利根川から引かれた見沼代用水東縁の終端部に当ります
が民家に囲まれた箱庭の中を歩いているような感じで、風土に密着した川の様子を
探るには、やはりこの流れを遡って実際の街中や田圃を流れている姿を見たいもの
だと思いました。
H20.5.3

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四年前の鯉幟の頃、東京都板橋区と埼玉県和光市の境界線で新河岸川に注ぐ白子川
に沿い上流に向かって歩いたことがあります。
都営三田線の終点、西高島平で下り北へ少し歩くと新大宮バイパスの笹目橋があり
新河岸川と荒川を渡っています。
新河岸川の少し上流の落合橋が白子川の合流する地点で、ここから白子川に沿って
上流に歩きます。
スタートして暫くは両岸がコンクリートで固められた深い川底に濁った茶緑色の水
が溜まっているだけです、川の右岸が板橋区、左岸が和光市。

笹目通りを過ぎ、溝下橋あたりから川に沿った遊歩道がありツツジやフェンスに絡
んでいる蔓バラの花が楽しめます。
成増橋を過ぎると川は直線になり正面に東武東上線が見え白に青帯の電車やステン
レスに黄帯のメトロの電車が行き交っています。
少し行った橋の欄干に 清水かつら生誕100年記念碑があり童謡 [くつがなる] の歌詩
が彫ってあります。

東埼橋で川越街道を越えると川はコンクリート護岸から石積みに、川底は少し浅く
水の濁りもなく流れるようになります。
川沿いの遊歩道は途切れ流れに並行した道を歩くと右手は小高く崖線が続きます、
崖線の途中に[こしのはけ公園] と言うのがあり、見た目にはマンションの横の階
段しか見えませんが、これを上がると公園になっていて水が湧き出ているのだと思
います。
和光市役所 牛蒡出張所がありその前が牛蒡通りとなっています。この通りに見事
な蔵を持った屋敷がありよい雰囲気が保たれています。

和光第五小学校の横から再び川に沿って歩きます、自転車が1台通れるくらいの細
い道で川の流れも両岸が低い石積みになり 降りて行って遊びたくなるような気持
ちになります。
越後山橋を過ぎると和光市から練馬区に入ります、遊歩道沿いの桜はミドリ色の小
さな実をつけ始め その下でトラックの八百屋が店を開いて野菜を並べています。
清水山憩いの森、別荘橋、中里泉公園をすぎると大泉三丁目となり関越自動車道が
見え手前に立派な建物があり比丘尼橋下流調節池と記してあります。グランドに下
に地下の貯水池を備えています。
関越大泉ジャンクションの下を通り比丘尼公園を見ながら暫くすると東映撮影所の
跡が白い塀で囲まれてました。

外山橋、学園橋を過ぎると西武池袋線が見えるようになります、川には草が繁茂し
クレソンの白い花に混じって黄色い菖蒲、白いカラーが色を添えてました。
そして大泉井頭公園に到着、練馬の銘木と記された[まるばやなぎ] の大木を見て
更に進むと干上がった池のようなところで水路は終わりになり、公園を囲む金網に
一級河川白子川起点の表示がありました。
H20.4.29

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頬に当る風が心地良い好天の一日、荒川右岸に沿って京成押上線八広から上流に
向かって歩いてみました。
草叢にタンポポが星のように散らばっている河川敷を1kmほど歩くと堤の横に東武
伊勢崎線の線路が並ぶようになります、その前方に昔の郊外の駅の雰囲気を今に残
す堀切駅が見え、折りしも南栗橋行きの急行電車が通過して行きました。

堀切駅の手前には隅田川と荒川の連絡水門があり隅田川水門で仕切られています。
堀切駅から京成本線鉄橋を過ぎると荒川日の出町緑地、ここは昔のTVドラマ
[3年B組金八先生]のロケが行われた場所、河川敷一面に草地が広がりハンノキが
1本佇立し、左岸に綾瀬川から注ぐ水門が見えます。

北千住に近くなると東武伊勢崎線、つくばエクスプレス、常磐線、地下鉄千代田線の
鉄橋が見え電車が引きも切らず行き来している楽しい光景が展開します。
千住新橋、西新井橋を過ぎると小台地区、隅田川が接近し川に挟まれた土地に工場
が密集し、枯れ蘆が残る河原には集団で生活しているのでしょうか、時折野良猫が
顔を出します。
扇大橋の手前に今年3月に開通した舎人ライナーの鉄橋が渡っています。スカイブ
ルーの開いたV形を2つ並べた長いスパンの橋梁の上を5両編成のモノレールが橋
を渡ってきました、鉄橋上面は川面から25m程度あり邪魔になるものが無いので車
窓からの見晴らしは良さそうです。

環七道路 鹿浜橋を過ぎると、河川敷ゴルフ場の柳が風になびき水溜りに鴨が水浴
びをしている初夏の雰囲気が漂ってきます。
やがて隅田川に通じる岩淵水門に到着、どっしり構える3基の青いゲートは1979年
8月に設置されたもので銘板には栗本鐵工所製、1基の巾20m、高さ16.17m開閉速度
0.3m/mim 扉重量214tとありました。

その上流に先代の岩淵水門が5基の赤いゲートが残っていてその先は水辺デッキの
遊歩道が設けられ、傍の水位計に歴代の水位記録(1位~6位)が示されています、そ
れによると最高水位は昭和22年カスリーン台風時のAP8.6mで 昔の水門を越すくら
いの高さです。

新荒川大橋を過ぎると白緑の京浜東北線鉄橋が現れます、長編成の電車の轟音を
背中に聞きながら更に前進し埼京線の鉄橋が見えたところで川を離れカツラの緑と
サトザクラのピンクの浮間公園を通り埼京線浮間舟渡駅に到着しました。
H20.4.23
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2年前の春半ば、利根運河を訪ねてみました。
流山の駅から江戸川堤防に出て菜の花の黄色い帯が続く左岸を5kmほど遡ると利根
運河が注ぐ合流地点になります。

運河左岸のサイクリングロードに沿って利根川目指して歩きます。
松戸野田有料道路を過ぎファンケル化粧品の横に運河緑道があり弁当を拡げている
と遅咲きの桜の花びらが一片落ちてきました。
東武野田線の見える所に 利根運河の水位観測所の看板があり水位の解説が記され
ています。
TPとはTokyo - Peil (東京湾中等潮位)、APとはArakaw - Peil (荒川水位)、
YPとはYedogaw - Peil (江戸川水位) との事でTPはAP+1.134mとなります。
私がこの看板を見ているいるところへ 流山市観光協会の人が近づいてきて
「利根運河に沿った観光ポイントを紹介したパンフレットを作ったので見て下さい」
と言って一部提供してくれました。

[利根運河絵図]と記されたパンフレットには利根運河絵図が載っていて運河の周り
の公園、森、作り酒屋、割烹旅館、レンガ造りの樋管、など見所や 明治時代に
東京-銚子間を運行した蒸気船の絵などが載っています。
東武野田線 運河駅の下を通り東京理科大学を右岸に眺めながら進みます、この川
は人工の流れですが自然の川のように蛇行して水量の少ないところもあり、こんな
狭い水路に蒸気船が通れたのが信じられないくらいです。

R16を越すと右手に枯れた葭原が広がり中ほどに新緑の雑木がこんもり茂ってい
ます、先ほどもらった絵図では大青田湿地と記されていて谷津の美景が残っていま
す。

柏高校を過ぎると青い水門が現れます、運河はここ迄で これから先は利根川と表
示されています
運河揚水機場の堰を通って暫く行くとついに利根川が現れました。
利根川堤からは常磐自動車道の向こうに つくばエクスプレス利根川橋梁が見え、
黒塗りのトラス橋をアルミの車体を光らせた電車が疾走して行きました。
つくばエクスプレスのコンクリート高架に沿って30分ばかり歩くと 丸みを帯び
たUFOのような柏田中の駅が見えてきました。
H20.4.15

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春雨の合間、日本ハムファイターズのグランドのある鎌ヶ谷市から市川市に流れて
いる大柏川に沿って歩きました。
新京成電鉄 鎌ヶ谷大仏駅から住宅地の中を北西に30分ほど進み道野辺本町に差し
掛かったところ、マンションの横に小さな祠があります。
祠は[囃子清水七面堂]で、1765年(明和2年)頃に建立されたとの事です。
祠から竹垣の階段を降り、桜や雑木に囲まれた池のある草地が囃子水公園。
説明板には
[以前は自然の湧き水が豊富な谷津であったが今は湧水量も減少し雨水貯留池の役
割を果たしている]と記されています。
桜の映る水面では、鯉の産卵でしょうかバシャバシャと水音をたてて動き回ってい
ます。

ここから細い流れがはじまっています、地図で見るとこれが大柏川の源流の一つの
ようです。
流れ出しは住宅地の奥を通っているので暫くの間は姿を見ることができませんが、
R8の下を潜っている所から溝のような流れを目にすることができます。
東武野田線の下を通ってから[道野辺中央市民の森]と名づけられた雑木林に沿って
流れます。

流れは鎌ヶ谷高校横を通ってから雑木林と畑の間を進みやがて、団地(鎌ヶ谷グリ
ーンハイツ)の中を通りますが、ここでは桜並木が整えられていて住民の方が水辺
の景観を大切に保護しています。
これを過ぎると水生植物が植えられた湿地帯の中を通ります。
ここの説明板には次のように書かれています。
「このあたりは湿地を利用して稲作りが行われていたところです、平野にある水田
と違って田圃の底は平ではありません自然なままなので浅い所は膝ぐらいですが、
胸ぐらいの深さになるところや釜(かんぼこ)と言って水が湧き出している部分
もあります・・・農作業にはたらい舟や田下駄が利用されました」
長閑な里山風景に見えるところですが、先人の苦労が偲ばれす。

切り通しを通ると日本ハムファイターズのグランドの横を通って来た中沢川が合流
しまてきます。
この先に大柏川浄化施設があります
「この施設は平常時の日量約3600m3の河川の水を取り入れ、BOD値35mg/Lを1/3
程度に低減するよう浄化処理を行い再び川に戻す施設です」と、説明板ありまし
た。
この先の市川北高校の前あたりから川巾が広くなり、架けられた橋の欄干に[一級
河川大柏川]と刻まれた立派なものになります。
JR武蔵野線の下を通過するあたりから左岸は舗装された遊歩道となりレンギョウ
や桜の花が彩りを添え、川に架かる橋は平成になってから作られたものが多く欄干
には富士山形、波形など趣向をこらしたデザインが施されています。

北方小学校の手前に大柏川第一調節池緑地があります。
[流域の浸水による被害を低減する目的で面積16ha、容量25万m3の能力を持ち平時
は自然の水辺を復元した緑地として活用する]とのことで、広い空地に設けられた
水辺にはコサギが餌を狙っています。
やがて正面に富貴島小学校が見え、大柏川は真間川に合し東京湾三番瀬の方に向か
います。
合流点では海からやってきたカモメが沢山流れに浮かんでいました。

源流から合流点まで3時間余で歩き切る短い川ですが、谷津の湧水池や湿地帯の
維持、水質浄化施設や洪水対策の広大な遊水池などの治水、団地内や市街での水辺
の景観向上など河川に対する様々な保全活動が行われている事を知りました。
H20.4.9
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先週、水彩画教室の見学に行った際、会場で[吉高の桜]を描いている人がおられま
した。ここの桜は地元で知る人ぞ知る隠れた名所で最近有名にになり始めました。
それを見て5年前の4月中旬、花の見頃は過ぎてしまったのを承知で吉高の大桜を
見物行った事を思い出しました。
新鎌ヶ谷駅から北総公団線のC-FLYERで終点印旛日本医大前まで約20分、
駅には先週行われた北総ウォークで配られた吉高の大桜への道のりを書いた地図
が残っていましたので これを見ながら歩き始めました。
駅前は道路と新しいマンションが並んでいるだけてあまり人影もなく無機質な感じ
がします、街を15分歩いたところでキラキラした建物が見えます、近くで確かめ
ると印旛村役場で昔の村役場のイメージは通用しません。
風がきついのと行き交う車の騒音がうるさいのが難ですが、完備された歩道を歩き
ながら道端のピンクの花の群生やタンポポ、温室の苗床の緑の絨毯、農家の庭先に
植えられた1本の八重桜などを眺めながら印旛の春を満喫します。
R464の瀬戸交差点を少し行くと印旛村中央公園や臨時駐車場があり、車で来た
人はここで下り途中の販売所で買った柏餅とか焼き芋など買い食べながら大桜目指
して歩いています。
吉高の大桜は須藤さんという人の先祖が300年程まえに守り神を祀るために畑の
中に植えたもので、周囲より1mほど高く盛り土して植えたのが良かったらしく
桜はすくすく成長して現在の大桜になった と説明板に記されています。
直径1mほどある根元から十数本の太い幹が分かれ それぞれが天空に向かって
枝を広げ、それが全体に垂れるような枝ぶりで 遠くからみるとこんもりしたよい樹形
を作っています。

桜の花は先週が見ごろで、本日は花は殆んど散っていて青くなる前の艶々した若葉
が出ていて桜の木全体が赤茶っぽい色になり、桜の根元には菜の花や紫の花が植え
られ 文字通り景色に花を添える風景。
出口近くに茶店があるので筍汁で昼食、臨時にしつらえた椅子席は満員なので 横
の大日如来堂と書いてある社務所のようなところに入ります。
正面には仏壇があり、座敷には先客の婆さんたちがいて世間話の花盛り、なにやら
田舎の法事に来たような感じがしました。
案内図を見ると、ここから少し行くと印旛捷水路に出られるのが分かったので行っ
てみる事にしました。
丘から平地に降りると田圃に水が張られ田植えの準備が整っています。
印旛捷水路は北印旛沼と印旛沼を結ぶ人工の水路で捷水とは水を素早く流す
との意味でしょうか、風で波立った川面は北印旛沼の方に流れていました。

案能橋からR65の通っている橋を目指して歩きます、水路沿ってサイクリング専
用の道が作られているので大変歩き易い道です、道に沿って桜並木になっています
が木が若いので本格的な桜並木になるにはあと10年くらいかかりそうです。
暫く行くと両側が切り通しになり、赤い色のアーチ橋(市井橋)、水色のアーチ橋
(山田橋)が見えてきました。

山田橋でR65に出てそこからバスに乗って帰るつもりでいましたが、いざ行って
みると山田橋は頭上遥かの位置にあり堤防が切り立った崖でとてもよじ登れるもの
ではありません。
ということでこの橋を見上げながらこの先何処に行くのだろうと思いながら前進を
続けます、向こう側からサイクリングの自転車が軽快に走ってきて過ぎ去りました。
歩いている間に切り通しの崖は消え、その先に浅間橋(せんげんばし)が見えてきま
した。、そこを渡って道なりに行くと捷水路始まりである印旛沼の双子橋に到着し
ました。
ここで印旛沼をながめてからコンビニ横のバス停から京成佐倉行きの小型バスで駅
に出ることができました。
H20.4.8
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門前仲町から清澄通りを南に100m程下ると大横川にかかる黒船橋に出ます、ここか
ら隅田川に注ぐ手前 練兵橋迄の600mほどの間、大横川に沿って桜並木が続き静か
な花見ができます、やがて青いゲートを開けている大島川水門から隅田川が見えて
来ました。
ヤマタネの横から越中島公園に出ると目の前に佃島、突端にはセンチュリーパーク
タワーやイーストタワーズなど40階を越す建物が林立し、佃島が沈まないものだ
と思うくらいの眺め、北に柔らかなカーブを描く永代橋、南に真ん中が膨らんだ箱
のような相生橋が望めます。
越中島公園からから水上バス(東京水辺ライン)で隅田川を遡り桜橋まで遊覧観光。
後部の1階席から後を眺めていると水面スレスレの位置なので船が全速力を出す時
スクリューの巻き上げる浪の飛沫がかかりそうですが、その水面と空を区切る永代
橋の後に佃島の高層ビルが影絵のように浮かんでました。

船は桜橋右岸に到着、ここから墨堤通りを目指して橋を渡り左岸に出ます、橋の上
ではパフォーマンスの若い人が笛とウクレレで[青い山脈]を気分よさそうに演奏し
ています。
長命寺の桜餅を食べたいと思いましたが、本日は予約品だけでとの貼り紙がでてま
す。
堤防では向島墨堤組合が緋毛氈の茶店を出して着物の姉さん方がお茶と団子などを
お給仕していますので、ここで休憩し川面に浮かぶ屋形船や遊覧船の数など数えな
がら墨堤の花見をし、牛嶋神社、浅草寺に寄って春の一日を楽しみました。

H20.4.3
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4年前の桜の頃、東急田園都市線 桜新町(世田谷区)で下り栗の湯の横から始まる
呑川(ノミカワ)に沿って河口まで歩きました。
流れの両側の桜並木は八分咲き、川にかかる橋はレンガ積みの城壁、青銅の柵など
意匠に工夫が凝らしてあり、流れにオシドリが浮かぶなど楽しい風景です。
日本体育大学の横で流れは地下にもぐり、これから先は呑川緑道となります。
沿道を歩くと東深沢さくら祭り、八雲の桜祭り、都立大学駅の桜祭りと続き賑やか
な人出です。

東横線を潜り緑道を南下、閑静な集合住宅や花壇のきれいな第十一中学校前を過ぎ
東京工大グランドの横を通り目黒線の線路を潜ると再び呑川が姿を現します。
川幅は広く深く三面コンクリートで固めた素っ気無い表情ですが所々ある桜並木が
それを補っています。

中原街道を渡り、東急池上線、新幹線、横須賀線の下を通り参拝客で賑わう池上本
門寺近くの養源寺では庭に菜の花が満開でまぶしいくらいでした。
やがてJR東海道線が現れ流れは少しの間線路に平行に沿った後、線路下を潜ると
京急蒲田駅となります。

第一京浜国道を渡ると川幅も広く満々と水をたたえるようになり北糀谷橋から下流
を眺めると、釣り船がズラリとならび水中にはボラが群れています。

子安八幡神社の先の親水公園の先で川に沿った歩道は終わりになります、金型、
バネ、古紙再生の工場の間を右折左折しながら歩くうち呑川の終点 海老取川との
合流点に到着、堤防のフェンスの間から見ると運河の上をモノレールが走っている
のが見えます。
森ケ崎公園の端に沿って海岸線を歩くと運河の中に二基の水平旋回式の接続道路が
現れました、京浜島のR357と高速羽田線を接続する道路のようでまだ完成前の様子
でした。
車を通す時は二つを真っ直ぐに繋ぎ、船を通すため海路を開く時は各々を90°旋回
して道路との縁を切る構造のようです。絶えず重量物が通過し、いつも波浪に晒さ
れる場所によくこんな物を作ったものです、設計者も大変だったと思います。

森ケ崎の水処理センターを過ぎると海岸沿いの道は終わり、旧呑川の河口に設けら
れた水門が現れます、川の名残は水門付近だけで後は公園になっていてます。ここ
でも桜祭りをやってました。
昭和島避難橋を渡り高速道路の下を通りモノレールの昭和島駅に到着しました
H20.3.30
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武蔵野線吉川駅から元荒川に沿って東武野田線東岩槻駅まで桜開花直前の春の
雰囲気を探りながら歩いてみました。
吉川駅から中川を少し遡ると右岸に元荒川との合流点があり、そこから土手道を上
流に向かって進みます、河原には菜の花がチラホラ、どこかのラジオから選抜高校
野球入場式の実況中継放送が聞こえてきます。
不動橋の手前左岸に越谷東高校があり校舎の壁に[インターハイ出場カヌー部]の垂
れ幕が懸かっています、目の前に鏡のような水を湛えた絶好の練習場があるので
存分に練習できた事でしょう、ご健闘を祈る。
土手道は不動橋から元荒川緑道として整備され散策で立ち寄れるスポット広場が約
1.2Kmの間に5箇所設けられています。
スポット広場には堂端落し、瓦曽根堰などの江戸時代からの治水にちなむ名前が付
けられています。
瓦曽根堰で葛西用水路が分岐し暫くの間二つの流れが並行するので葛西用水と元荒
川の間の堤防を進みます。
新平和橋の手前に丸みを持った緑青色の屋根にドーマー窓、上部がスキー板の先よ
うに すぼまっている縦長窓をずらりと並べた大きな建物が現れました、これだけ
見れば どこかヨーロッパの町並に見えます、近づいて確かめると越谷市民会館で
した。

新平和橋を過ぎ葛西用水と分かれ、宮前橋に来ると左岸に久伊豆神社(ヒサイズ)があ
ります、松並木の長い参道を進むと厳かな社殿、境内の池の端には広い藤棚が設け
られ地味な参道入口から想像できない格式の高い神社でした。

右岸に戻り暫く進むと、先ほど分かれた葛西用水路が越谷御殿跡付近で元荒川に
直角にぶつかるように来て元荒川の堤防でブロックされています、葛西用水は元荒
川の下を地下水路になって北へ潜り抜けているのでしょうか。
元荒川橋から左岸へ移り東武伊勢崎線の下を潜ると桜堤通りが始まり開花寸前の桜
並木に裸電球がずらりと並び、桜祭スタンバイOKの状態でした。
元荒川はニ度大曲りして東武伊勢崎線に接近したあと 向きを変え北越谷第五公園
梅林公園の横を通ります、流れに沿ってR4を渡ると ここから先、堤防道がなくな
るためR325を進みます。
永代橋、末田須加堰の1kmほど先に赤いトラスの大野島水管橋があります、ふつう
水管橋は一般の人の通行が出来ないのが殆どですが、この橋はトラスで吊った直径
600mmの鉄管を2条、2mくらいの間隔で渡し、その間に歩道を設け人と自転車が
通行できるようになっていて、住民の便宜を考えた上手い構造の設計でした。

水管橋を渡り元荒川緑地、槻の森スポーツセンターを過ぎR16を渡ると岩槻城址公
園に到着します。
公園の隅には東武の元デラックスロマンスカー1720系きぬ号の先頭車両が保存され
ています、管理人が付いているので保存状態はよく運転台の制御機器、室内シート
はそのまま残ってました。
ここから更に進むとやがて東武野田線が見え東岩槻に到着、約5時間の行程でした。

H20.3.22
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葛飾区青砥から七曲りで流れる旧中川は荒川で分断された後も蛇行した川筋が残り
墨田区と江戸川区の境を流れています。
5年前の春先、この荒川に隔てられた残りの旧中川から北十間川に沿って歩いてみ
ました。
京成電車 八広で降りて荒川堤防右岸を下がり暫くすると木下川水門があり、左岸
には中央環状線葛飾ハープ橋が見え旧中川が荒川に注ぐ水門が現れます。

木下川水門で荒川と別れ旧中川の河原に出ます、江戸川区から墨田区立花に入り右
岸を歩いていると土手のそばに立花大正区民園と言うのがあり入り口には石で作った
魚拓のような物が置いてありましたが、中では大正時代の生活用品でも展示してい
るのでしょうか。

江東新橋の手前で隅田川から流れてきた北十間川が合流してきます、川沿いに北十
間川を示す表示があり鷹狩の少年と梅の木が描かれています、何か故事があるよう
です。

北十間川に架かる小さな鉄橋を下町のローカル線 東武亀戸線の電車が時折通過し
ます。
この川の堤防を浅草方面に進みます、岸辺には梅、アセビが満開 柳の木も新芽を
出し始め春本番近しの雰囲気。
流れは浅草通りに沿うようになり境橋を過ぎた所に小さな祠と古い道しるべ石があ
ります、説明書きには[木下川やくしみち道標]とあって江戸時代、葛飾四ツ木に
あった木下川薬師堂への参詣道案内として1761年に建てられた とありました。

柳島橋で横十間川が分かれ十間橋、西十間橋、押上商店街を過ぎた所に [生コン
クリート工場発祥の地]というのがあります、説明によれば磐城セメントの工場が
ここで初めて生コン工場の操業を始めたそうで色々記念にしたがるものです。
更に進むと東武電車が屋形船浮かぶ川に沿って走る風情あるシーナリーが展開し
ます。

源森(げんもり)橋を過ぎると竹を専門に扱う珍しい材木屋があり置き場には長い
孟宗竹が纏めて立てかけてありました。
枕橋で墨堤通りに出て隅田川達します、東武電車の鉄橋上を急行 南会津が終着
浅草に向けて減速しながら渡って行きました。
H20.3.14
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春めいてきた休日、都内の散歩を楽しみました。
先ず九段下駅から靖国神社に向かいます
巨大な鳥居を通って境内に入ると骨董市をやってます、仏像や動物の彫刻、古銭、
玩具、刀、旧陸軍の帽子や外套など興味の無い人にはガラクタにしか見えないよう
な物がならべてありました。

ゼロ戦とC56蒸気機関車を展示してある遊就館から北に進み白百合女学園と法政
大学の間を抜けるとJR中央線に突き当たります。
ここで崖下と外堀との狭い間を走っている中央線が眺められます、電車はひっきり
なしにやってきますが、堀と崖の間にさえぎる建物は無く、木造のチンチン電車で
も走らせれば中央線の前身である甲武鉄道時代の雰囲気を偲ぶ事ができそうに思い
ました。

飯田橋駅前の牛込橋を渡り堀の外に出てから小石川後楽園に入ります。
松の雪吊が残る庭園では梅が満開、その横で沈丁花が早春の香りを放ち始めていま
す。

梅の向こうに東京ドームの白が雪山のようにも見え横で遊園地のジェットコースター
が天上からのダイビングのように急降下しています。
園内には神田上水の跡が残されています、飯田橋の駅前では神田川が外堀とつなが
り神楽河岸の地名がありましたが、隣の水道橋駅の地名と併せて、この辺りは水運
と水道の要衝であったことを知りました。
この後、大江戸線で森下駅に移動し、駅から北上し竪川を渡ると墨田の馬車通に出
ます。

印刷、製本、用紙 関係の会社が並んでいる道を西に進み両国橋の脇から隅田川左
岸に達します。右岸には神田川が注いでいるのが見えます。

ここで行き交う水上バスや総武線の電車を眺めて休憩してから総武線脇のちゃんこ
料理[照国]へ行きました。
この店は38代横綱照国の息子さんが経営する店との事で店内には横綱時代の化粧
回しが飾ってあり、相撲甚句が流れています。
ちゃんこの材料はごぼう、白菜、ネギ、シラタキ、鶏肉、鶏のつくね、椎茸、ホウ
レン草、牛肉、などで出汁を沸かせてから先ず牛蒡を入れて香りを出してから鶏肉、
つくね、白菜、ネギを入れて煮るホウレン草はさっと通して食べる、牛肉はしゃぶ
しゃぶ風で頂き最後はうどんで締め 今日の散歩は満腹で終えました。
H20.3.9
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ニ年前の三月初旬、鶴見川源流の泉を訪ねて歩きに行きました。
小田急 鶴川駅から 鶴見川に沿って遡ります。
歩き始めて暫くの所に民家で工房を開いている家がありカラクリで動く酒飲人形や
太陽電池で動くヘビ など面白いアイデアの作品が展示してあります。

川沿いの道には雪柳が芽吹き、サンシュの黄、梅の紅など川沿いの道は早春の気配
に満ちています。
鶴川街道を過ぎ八坂橋、弁天橋 と通っていきますが、それぞれの橋の欄干に 鴨、
鷺、カワセミのプレートやレリーフを飾ってあります。

鎧橋から先、暫く川に沿った道が無いので芝溝街道に出て西に進み 図師大橋で
鶴見川と再会します、ここには忠生中学の生徒がクラブ活動で作った図師里山の
案内地図が掲示されています、担当の先生の熱心な指導が覗える作品です。
図師大橋を過ぎ北上すると川幅がこれまでの半分ほどになります、曹洞宗長慶寺、
日大三高、新竹之内橋を過ぎると 普通の小川になってしまいました。
大泉寺バス停を過ぎた所で鶴見川上流端の表示看板がありますが流れは姿を晦まし
ます。辛抱して上に行くと流れは小山田川 と名を変え農業水路のような姿で現れ
ます。
上小山田バス停に到着し少し上がると鶴見川源流この先300mの案内板があります、
側溝のような流れに沿って歩いているうち源流泉の広場に到着しました。
泉は直径5m程で真ん中あたりは湧き水で波立っていました。
鶴見川はここを起点に43.9Kmの道のりで海に注ぐと記されています。
私はこのコースの河口から源流までを足掛け三年、4回に分けて歩きましたが
本日はその最終コースでした。
H20.3.4

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光の春を感じる日、志木から川越まで新河岸川に沿って歩きました。
志木市役所横の堤防では温かな陽射しを受け小学生のサッカー選手たちが息を弾ま
せて走り、上空では揚げ雲雀が囀り始めています。
堤防道はR254との交差を過ぎた所から舗装されたサイクリングロードとなり
その道を遡っていると、南畑(ナンバタ)橋と交差する手前からチョークで記された四字
熟語が延々と続いているのを発見しました。
作者はその熟語の横で休んでいる自転車で来た爺さん。

この爺さんは漢字検定で決められた八百ほどある四字熟語を全部覚えたので 今日
はアイウエオ順に書いていて[群雄割拠]を書いたところで休憩中でした。この人は
今日本にある全ての市町村名も全部書けるとも言っていました。
新伊佐島橋、クリーンセンター、を過ぎ福岡橋でサイクリングロードは終わります。
橋の傍に大杉神社の小さな祠があり掲示によると、新河岸川水運の安全を願って明
治時代に建立された、とあります。
その横に明治時代の俳人 雪中庵梅年の「兎角して こずにはおかぬ しぐれ哉」
の句碑がひっそり建っています。
富士見川越有料道路の下を潜り、大日本印刷から先は崖が右岸に迫りの土手道は狭
く雑木林になります、ここの樹木には一本毎に種類を示す銘板が付けられており、
地元の人が遊歩道として手入れしていることが分かります。

雑木林を抜け養老橋に来ると ふじみ野市立福岡河岸記念館の案内板があったので
立ち寄ってみました。

ここ福岡河岸には江戸時代後期~明治時代に吉野屋、福田屋、江戸屋の船問屋が回
漕業、仲買商を営んでいたとの事で、福田屋の屋敷が資料館となって公開されてい
ます。
新河岸川の海運は ここ福岡河岸、対岸の古市場河岸から江戸浅草花川戸までの間
下りは農産物、木材、炭、藍 を卸し、上りは肥料、瀬戸物、荒物、金物など仕入
れで繁盛していたとの事。
3階建て離れや 蔵を持つ広い屋敷の仕切り格子を構えた入口を見るだけで当時の
盛んだった商いの様子が覗えます。
屋敷を出て改めて福岡河岸を見ると今は草生した広い河原に下りる石の階段に当時
を偲ぶばかりです。
ここから先は暫く土手道を歩けないのでR335を北上して新河岸川を渡り左岸に
出てから九十(クジュウ)川排水機場で新河岸川と別れ九十川に沿って北上します。
歩いているうち昼前の温かい陽射しが消え風が冷たくなり、さきほどの雪中庵梅年の
時雨の句を思い起こすような小雨が落ちてきました。
川越線の踏切を越えると前方にケーズデンキや屏風のように聳えるマンションが見
えてきて川越市内に入った事を感じます。
そしてR16を越え、郵便局の横を過ぎると九十川の水源、伊佐沼に到着しました。
前に伊佐沼公園があるのでここで休憩しようと思ったその時、突如天空から凄まじ
い突風が吹き荒れ濛々たる砂塵を巻き上げさほど広くない沼の対岸が霞んでしまい
ました。

休憩を諦め早々に駅へ向かいます、喜多院へ行く途中、貝塚橋で先ほど分かれた
新河岸川を渡ります、川幅こそ前と同じですが川には草が生え水量は大分少なく
なっていました。
西武新宿線本川越駅から特急小江戸に乗り帰路につきましたが、車内で飲んだカップ
酒は風で冷えた身体に美味さが染み渡りました。
H20.2.23
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3年前の2月の休日、羽村から立川まで多摩川に沿って歩きました。
羽村駅前を抜けて多摩川へ下るお寺坂の途中に石垣で囲まれた[馬の水飲み場]跡が
あり荷馬車の行き来していた往時を思い起こさせます。
禅林寺を過ぎると羽村堰から始まる玉川上水の滔々とした流れが見えてきます。
今回はこの羽村堰の玉川兄弟の銅像を起点に多摩川左岸を南下します。
河原には砂利取りのブルドーザーやダンプカーが動き、堤防には裸の木立が点在し
ているのを見ながら進むとやがて五日市線の鉄橋グリーンの鉄橋が現れます。
折りしも六両編成の電車がやってきて青空に鮮やかなオレンジ色の対比を示しなが
ら走り去って行きました。
睦橋をすぎると福生市から昭島市に入ります、多摩川はこのあたりで秋川と合流し
川幅が広くなり 河川敷が公園になっています。
この公園を歩いていると紙飛行機が飛んでいるのが見えます、紙飛行機は全長15
センチくらいでゴムで弾き飛ばすとクルクル旋回しながら10m程上昇し水平飛行
に移り、やがて大きな弧を描いて下りてきます。
現物を間近で見せてもらうとシンプルな形状でバランスよく作られています、重心
を主翼の中ほどに持ってくるのがポイントだそうで 飛ばしている人は”これは未だ
満足できるものではないのですが”とか言っていました。
拝島橋を過ぎ枯荻の群生と、落葉したクヌギ林など冬風景を満喫しながら歩いてい
ると八高線の鉄橋が見えます。

鉄橋を越した所に昭和20年8月24日 午前7時40分に起きた鉄橋上での列車
同士の正面衝突事故を記録した掲示板があり、その横に当時河原に残されていた列
車の車軸が2対 錆びたままで置かれていて終戦直後の蒸気機関車牽引の満員列車
が鉄橋から落下する大惨事の記憶を風化させないよう語りかけているように思いま
した。
更に進み、子供達がサッカー練習している横の雑木林の向こうに電車が頻繁に行き
来する中央線の鉄橋が見えてきます、そして多摩モノレールの下を通り残堀川と合
流する地点で今日のコースを終えました。

H20.2.11
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北風の治まった休日、柏市から鎌ヶ谷市を流れる大津川に沿って歩いてみました。
北柏駅から坂を下り北柏橋を経て大堀川に沿って手賀沼を目指します、厚さ20mmも
ある帯鉄を巻いた直径3mものコイル形のモニュメントが飾ってある柏ふるさと公
園の前の道ではサイクリング、ジョギング、ウオーキングと思い思いに穏やかな冬
の陽射し楽しむ人が行き交っています。
やがて枯れ蘆が密集する手賀沼西端に出ます、北千葉第二機場の瀟洒な建物があり
2階は北千葉導水ビジターセンターとして見学できるようになっています。
その展望室から機場の貯水槽から手賀沼へ滔々と水が流れているのが眺められ、前
の電光掲示板には[手賀沼浄化用水6m3/秒 放水中]の表示。
北千葉導水路の看板のある立派な舗装道路を東に進むと大津川が注いでいる場所
(ひどり橋)に着きました。

周囲の農水路に薄く氷が張り、枯れ枝の上で百舌が尾を俊敏に上下させているのを
目にしながら、ここを起点に川の流れを遡るように歩きます。
進んで行くうちに、R16の手前右側に崖があり木々がこんもり茂っている場所が
見えます、地図で確かめると戸張城址となっています、折角だから立ち寄ってみる
ことにしましたが、近づいてみると道路際の崖が急で上がれません、R16柏隋道
の横から漸く這い上がりました。
そこの案内板によれば平将門の子孫が鎌倉時代から200年程の間、この地に城を
構え、三方を崖に囲まれ残りは手賀沼に面して城を守るには最適のロケーション
だったとの事、今は密生する喬木潅木の間からの木漏れ日に古強者の息吹を偲ぶば
かりでした。
流れに戻り暫くすると川筋は略真っ直ぐになりそれに沿って真南方向に歩きます、
水は絶えることなく流れ、淀みにはカルガモ、ヒドリガモ、クロガモなどが浮か
び冬日を浴びて団欒しているように見えます。
途中にある曹洞禅宗 慈恵寺に寄り有り難い言葉を探してみると掲示板に次の
文言がありました。
悟りの花 悟りの花は何処に咲く 悩みの池の中に咲く

大津川は流れ込む支流を3本程分岐すると流れは次第に細くなり沼南高柳高校を過
ぎ鎌ヶ谷市に入ると畠の中をうねるように流れ土手道がなくなり川に沿って歩けな
くなりました。
ここで土手道を諦めR8に出て新鎌ヶ谷駅を目指して歩くことにしました、暫くす
ると先ほど分かれた大津川に再会しますが流れは側溝のような水路になって粟野
十字路の手前で東武野田線の方に消えていきました。

家に戻ってから北千葉導水ビジターセンターでもらった北千葉第一第二機場の概要
パンフレットを読むと次のような事が記されていました。
北千葉導水路は木下(キオロシ)にある北千葉第一揚排水機場で利根川から取り入れた水
を、北柏の第二機場まで直径3.2m×2本の地下埋設管路で送り、ここで手賀沼に
排出して沼の浄化を行い、その水量は最大毎秒10m3(およそ家庭用風呂10杯分)に
も及ぶ、とのことで現地を歩いて初めて知りました。
手賀沼沿いの舗装道路の下には巨大な地下埋設管が埋まっていて、行きに見た
柏ふるさと公園の巨大な鉄のコイルは、古くなった送水管を加工して記念に残してあ
る物だと納得した次第です。
H20.1.27
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平成20年年明け、妙正寺川に沿って荻窪から高田馬場まで歩いてみました。
中央線荻窪駅北口から野方ホープ(中華そば)のある教会通り商店街を通り過ぎ住宅
街を進むと落ち着いた門構えとどっしりした鐘楼のある妙正寺に出ます。
境内には今月の聖語として
「つたなき者のならいは 約束せし事を まことの時に わするるなるべし」との
教えが掲げられていますので心に刻んでおきます。
寺から下がったところに妙正寺公園があり、妙正寺川はここの池(妙正寺池)東端
の暗渠から始まりブロックに囲まれた護岸の中央の溝に水が微かに流れています。
流れに沿ってレンガ敷きの遊歩道と枝垂れ桜並木が始まり意匠をこらした転落防止
柵はステンレス製のピカピカでどこかのデーマパークのような感じがします。
早稲田通りとの交差を過ぎ、中野区に入ると豪華な柵もアルミ製の茶色染めの物に
なり市街地を流れる普通の川の表情になります。
流れは西武新宿線鷺宮駅に接近してから南下し団地や住宅の中を適当にくねりなが
ら西に向かいます、途中に中野四中、中野工高の敷地内を通るため川に沿って歩け
ず迂回しなければなりません。
環七道路を野方2丁目の陸橋で渡り宮坂醸造の本社を過ぎると小高い岡に平和の森
公園があります。
葉をすっかり落としたケヤキのある静かな公園にはキノコのような形で殆ど屋根だ
けの弥生後期の復元住居があります。
ここを過ぎると川は沼袋駅の先で西武新宿線の線路を越して北上し新青梅街道をか
すめるように接してから南に向けて180°のヘアピンカーブで曲がります。
この曲がる頂点ではカーブの内側に小高い丘が迫り外側から江古田川が合流、そして
江古田原 沼袋古戦場跡の石碑があるなどその先の哲学堂公園と共に武蔵野の雰囲
気を偲ぶことができます。

水量を増した妙正寺川が哲学堂公園の中を通り抜けた隣の公園では町内の新春凧揚
げ大会をやっていて青空を見上げるとゲイラカイトの目玉が地上の人間共を睨んで
いました。
この近くに昔の京浜急行の電車を展示しているホビーセンターカトー(鉄道模型)が
あるので寄り道して見て行きましたが未だ現役のような感じで吊掛式駆動台車の
カーッという走行音が聞こえてきそうでした

流れは西武新宿線に沿うようになり、中井駅の横を過ぎ飲み屋の間を通りながら
下落合駅の先で神田川と合流するため暗渠に入り姿を消します。
西武線に沿ってそのまま歩いて高田馬場に着くと、駅売りの新聞が大発会で日経平
均株価暴落のニュースを報じていました。
H20.1.4

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5年前の秋、江ノ島海岸に注ぐ引地川、境川に沿って歩きました。
小田急藤沢本町で下車、伊勢原 藤沢線に沿って15分ほど行くと引地川の流れ出ます。
川に沿った緑道を下流に向かって進みます、道にケヤキの並木その間にコスモスが
風に揺れています。
上村(かむら)橋欄干の鎌倉武士のオブジェを見てJR東海道線を潜り竜宮橋まで来
ると空からトンビの鋭い声が聞こえてきて、鵠沼橋で引地川は江ノ島の海に注いで
います。
江ノ島が正面に見える海岸では沢山のサーファーが波乗りをしていて、フライパン
の上のゴマ粒が跳ねているように見えます
海岸にそって南東に少し行くと境川河口の片瀬橋に出ます、ここから右岸にそって
流れを遡ります。
山本橋から下流方向を見るとホテルの高いビルが立ち並び都会のような様相ですが
上流側は一転して静かな郊外の風景が広がり江ノ島の雑踏から離れ静かな道になり
ます。
中央に門扉のような飾りを持つ西浜橋を過ぎると、川は緩やかに右カーブし岸に沿
って釣舟がきれいに一列にならび その後に森とゆったりした家並みが見え 絵心が
あれば是非キャンパスに残したくなるような景色です。

この落ち着いた景色も江ノ電の鉄橋が現れたところでおしまいになります。
この鉄橋のガーダーの形は単に台形を平たくしただけの素っ気無い形で これまで
の風景にマッチしない気がします、私がこの橋梁を設計するならなら強度に関係の
ない範囲で贅肉を取るとか、少々遊び心を出して曲線で纏めるとか、もう少し景色
に溶け込ませるような形にしてみたいと思いました。

ここから境川橋を渡り、民家の庭先のカッと弾けたザクロの実に中秋を感じながら
柏尾川との合流点を過ぎJR東海道線藤沢駅に到着しました。
この時に記念に江ノ島駅で買ったBトレイン江ノ電300形と500形のプラスティック
モデルはNゲージで走るように組み立て、今も我が家のレイアウトを走らせる度に
この日の風景を思い出します。
H19.11.28

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武蔵野線 吉川駅から中川に出て左岸を上流に向かって歩きます、堤防にセキレイが
飛び回り、鏡のような川面にはカヌーが一艘流れを遡っています。
吉川橋から先は堤防を歩けないので車の行き交うR67を進み吉川市役所、川野T字
路 ペンテルの工場横を通過して新川橋から交通量の少ない右岸へ移ります。
中川にそって暫く北上すると西側から大落古利根川が大きなカーブを描きながら合流
していて堤防道に沿うと自然に大落古利根川を遡ることになります。
川原は枯草が刈り取られ、所々に常緑樹の木立の茂みが固まっていて小春日和の落
ち着いた光景が展開します。

合流点から1.5km程歩いてやっと橋が見えてきました、斎場横を通り新開堀排水機
場がある松伏町壽橋から左岸へ渡り桜並木遊歩道を進みます、葉を落としている桜と
は対照的にピラカンサの赤い実が密集しているのが青空に映えています。
この辺りでは流れは蛇行を繰り返していて曲がる都度、映画の場面が転換するように
景色が変化するので退屈しません
蛇行を繰り返す川といえば以前このずっと下流の葛飾区 青砥~新小岩の間を流れる
中川七曲がりに沿って歩き、材木店、金型工場、小さな技術研究所などのひしめく下
町風景を楽しんだことがありますが、今はコンクリート護岸で囲まれた川も昔はこの
大落古利根川の土手のような長閑な景色だったのだろうと思いました。
鴨の水浴び、餌とりするオオサギの姿などを見ながら歩いている内に東武野田線の
鉄橋が現れ、藤の牛島駅を発車した電車が通過して行くのが見えます

春日部市街に入ると300~500m間隔くらいで橋があります、八幡橋、埼葛橋、
そしてモニュメントのある歩道橋を渡って春日部駅に到着しました。
付近の案内板には大落古利根川はこの先古隅田川と葛西用水に分かれるとの説明が
ありました、いつか歩いてみたいと思います。
H19.11.18
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JR八王子駅前から桑並木通りを行くと浅川大橋に出ます。
ここから浅川右岸の堤防道を下流に向かって歩きました。
オギの穂がなびく河原の向こうの丘の上に多摩テックの観覧車が見えます。
甲州街道、八高線、山田川合流点、中央線鉄橋と通過します、この辺りは流れの速い
浅瀬が続き、せせらぎを聞きながらの秋晴れの散歩は爽快で、時折川岸に佇立する
ゴイサギ、アオサギ、コサギ、カワウななど双眼鏡で観察しながら進みます。

湯殿川が合流する辺りから下流を見渡すと、小高い多摩丘陵から下る傾斜に住宅が
密集してそれが雪崩れのように浅川右岸にまで押し寄せているのがみえます。
その先で流れはV字状に曲がっています。
曲がっている場所を観察すると、丘陵の傾斜が下って来たその端の茂みの残っている
所に浅川の流れはぶつかり直進を阻まれ、撥ね返されたように急角度で向きを変えて
います、ここは多摩丘陵と浅川の地形的なかかわりを示す象徴的な場所だと感じまし
た。
その直進を阻まれて曲がっている地点を詳しく見たいと思い近づいてみると堤防道は
行き止まりになっていて「これより先、屋敷内に立ち入らぬこと」と標識があります。
まわり道してしばらく北野街道を歩きます、この辺りは陸路にとっても隘路で直ぐ横
の狭い場所を京王線が平行して走っています。
平山城址公園駅の手前、滝合橋で堤防道にもどることができました、これまで南東に
向かっていた流れは北東に向きを変えています。

高幡橋を過ぎたところに高幡橋観測所があり、ここの水位計には9月に関東を直撃し
た台風9号の時に流れて来たものと思われる枯草が引っかかったままになっています
堤防上面から1.5mほどの所に残っているので当日はかなりの水量だったと思います。
向島用水取入口、万願寺歩道橋の吊橋などを見て 多摩都市モノレールの下を通ると
程久保川が合流してきます。
そしてシャープな斜張橋、府中四谷橋の見える多摩川への合流点に到着しました。
スタートの浅川大橋から10.4kmでした。
程久保川末端に鼻の穴のような入口を設けて水を引き入れてある「わんど」を見て
から程久保川遊歩道を歩き京王線百草園駅に出ました。
駅名標識を見て「百草園」が(もぐさえん)と読むことを初めて知りました。
H19.10.31

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秋晴れの一日、川崎の江川せせらぎ遊歩道を尋ねてみました。
南武線武蔵新城駅から南へ歩いて10分ほど、太陽第一幼稚園横から江川せせらぎ
遊歩道が始まります
流れの源泉はコンクリートの擬似木で囲われた80cm角くらいのスノコの底からゴボ
ゴボ湧き出す水です。
近くに直径300mm程度の鉄管があったので、どこかでポンプアップした水をここで
吐出しているのでしょう。
水路は幅80cmほどで流れに沿ってサクラ並木が続きます、中原街道を越えると流れ
の幅が少し広くなります。
江川橋跡から西之辺橋跡の間は木道を歩くようになっています、石積みの岸を流れる
水は速く大小のコイが泳いでいて、流れに目を凝らすとメダカそしてグッピーも混じって
いました。
せせらぎは途中で他から来た流れと合流し次第に水量が増えてきます、木道脇の
オレンジ色のコスモス、長い豆の鞘をぶら下げたエンジュ、紅葉のハナミズキなどが
中秋の趣を伝えています。
明津橋跡、井田橋跡と過ぎて矢上川に合流します。
矢上川は直角に近いのコンクリート護岸で囲まれた江川のせせらぎに比べると殺風
景な川で、付近に冠水注意の看板があることから集中豪雨などの時には相当な水量に
なることが分かります。
矢上川に沿って下り井田公園を過ぎると東急東横線の走っているのが見えます、この
先、慶応義塾大学の横、新幹線の下を通って鶴見川に注ぎます。
江川せせらぎ遊歩道の設置には相当な費用がかかっていると思いますが、今日歩いて
みて愛護会の方々をはじめ市民が水路の清掃や植栽の手入れなど大切に護っている
姿勢が伝わってきました。
H19.10.24

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二年前の秋晴れの日、二ケ領用水に沿って歩いてみました。
小田急登戸駅から多摩川右岸に出て少し下ると二ヶ領用水宿河原堰があります。
ここから二ヶ領用用水宿河原線沿いの遊歩道を流れに沿ってスタートしました。
石積みの堤防と桜並木の緑陰が快適な水辺の木道を歩きます、流れには大きな
鯉や、琉金が泳いでいます。

東名高速道路を過ぎると、深く溝のような流れになり暫くして二ヶ領用水上河原
線と合流して水路は太く、流れは淀むようになります。
南武線久地駅を過ぎると右岸に崖線が現れます、近くに[○○マンション建設反対
津田山の眺めを守れ]と 看板が出てます。
暫く行くと堰がありその先で直角に来た平瀬川とぶつかり二ヶ領用水の流れは平瀬
川の水と一緒に多摩川に注いでしまうように見えます、本来の二ヶ領用水の続きは
どうなったのか?と探すと平瀬川を横切った先に久地円筒分水を見つけました。
久地円筒分水は平瀬川との合流点にある堰の下を通ってきた水を円形プールに導き
そこから溢れる水を4箇所に分配しています、円形ブールの周りには柳と桜が被さ
るようにして緑陰を作っていて、気持ちの良い庭園の趣です。

久地円筒分水を出た流れは 先ほどの1/3程度の幅となり途切れていた両岸の緑道が
復活します。
東急田園都市線を潜り上小田中の今井上町緑道に入ります、この緑道には花桃の木
が植えられ 丁度色付いた実がついていて、一つもぎ取って食べるとほのかに甘く
初秋の味覚を味わうことができました。
南武線、東急東横線、そして新幹線の高架下を通りここから先は下水のような細い
水路になりながらも左右にくねって流れ、歩道は横須賀線で行き止まりになります。
迂回して横須賀線を越し鹿橋で再び流れに戻り、暫くレンガの歩道を行くと今度は
南武線の線路で 歩道は又行き止まりとなるので線路沿いに鹿島田駅まで歩き今日
のコースの終点としました。
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坂川に沿って
江戸川水系の坂川に沿って流山から市川市の国府台まで歩いてみました。
スタートはつくばエクスプレスの[ながれやまセントラルパーク駅]、ここから流山
総合運動公園に入ります。
隣の野球場の歓声が聞こえる公園にはコブシ、ムラサキシキブ、クロガネモチ等の
木々が実をつけています。
公園を抜けて柴崎の幸田橋で坂川の流れを見つけました、川の源流に近い所だから
小川のような細い流れかと思っていましたが、幅10m程の川幅の両側の岸と法面
をがっちりブロックで囲んであります、堤防の上 ネコジャラシ、オヒシバの密集
している中を下流に向かって歩きます。
東洋学園を過ぎると鰭ヶ崎橋、ここには流山電鉄のスルーガーダー鉄橋があり、そ
の先が小金城址駅です、この鉄橋の先で坂川に対し新坂川が直角に分岐します。
夫々の流れに架かる小さくて淡い色彩の橋と後の木立、時折通過する短いローカル
電車、限られたスペースにコンパクトに纏まったシーナリーは模型のレイアウトの
題材に好適です。

武蔵野線の下を通り五町置きくらいに配置されている排水樋管のゲートを幾つも見
ながら坂川分岐樋門に到着します。
ここで江戸川への放水路と分かれた坂川は略真っ直ぐな水路となり江戸川と1km
くらいの間隔を置いて平行しながら南へ流れます。
古ヶ崎浄水場を過ぎた平根橋で他から来る流れと複雑に交錯します。
元からの流れは南下して江戸川へ注ぐようになりますが、ここに江戸川上流から来
た六軒川が横槍を入れるような形で坂川を貫いてから新坂川と合流し、以後、根本
橋を過ぎてからこの流れが坂川となり松戸市街に入ります。
市街に入ると流れ周囲の遊歩道は整備され橋の欄干等も景観に配慮したデザインに
なっていて木々の茂り鬱蒼としている堂の口橋で江戸川に分岐後、伊勢丹デパート
のすぐ裏を曲がって松戸神社の脇を通り市街中心を抜け出て元の素顔の川にもどり
ます。

途中に多数設けられた排水樋管で周囲の水を集め、幾度も江戸川に放流を繰り返し、
新坂川のバイパスなどまわり道をしながら下ってきた坂川は常磐線の下を経て北総
線の南、市川里見公園近くの柳原排水機場で江戸川に注いで流れは終わります。
H19.9.23
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残暑が治まったある日、以前から訪れてみたかった両総用水の栗山川の水辺散歩
にでかけました。
千葉駅から総武本線の特急しおさい号で約50分、横芝駅で下車して先ず九十九里
海岸を目指して歩きます。
R78(横芝上堺線)を南下し北清水から斜めの道を進みます、水路がめぐらされた
稲田では一面に黄金の稲穂が垂れ、ほの甘い香りが風に運ばれてきます。
ものの半時間ほど歩けば海が見えるだろうとタカを括っていましたが、行けども行け
ども海は見えず、2時間ほど歩き通してやっと九十九里海岸 屋形海水浴場に到着し
ました。
この道中では大きな瓢箪が幾つも栽培されている温室を見たり、立ち寄った九十九里
浜の七福神と称せられる屋形四社神社の境内で[夫婦松]という形の良い松が聳えて
いるを観賞したりできました。

サーファーが疎らに遊ぶ九十九里海岸に栗山川が注ぐところを見届けてから、右岸に
沿って歩き始めます。
栗山川漁港ではハゼ釣の人が2~3人、漁港の奥に蓮沼排水機場防潮ゲートと東部排
水機場があり、建設中の排水機場には教会風のお洒落な建物が造られています。
屋形橋の近くに「銀鱗踊らすサケたちに恥じないきれいな栗山川」の看板があり橋の
欄干には鮭のレリーフが飾ってありました。
川の土手道には所々にあづまやが設けられ、そこから砂洲でエサ取りをしているアオ
サギ、コサギなどが眺められる歩き易い道です。
川の流れの要所には門を上下させて水を堰き止めするスライドゲート、ゴムの膨らみ
で上流の水位を保つラバーゲートなどがあり、流れの1km置き位に水門、樋管が設
けられ そこから周囲の水田に向かって用水路が網の目のように張り巡らせれていて、
これがこの地域の灌漑に重要な役割を果たしていることが良く分かります。
木戸大橋を過ぎた所で、早くもコンバインで稲刈りが始まっていました。
人が歩むほどのスピードで前面のバリカンで次々に稲を刈り取る周りには沢山のツバ
メが低空で円を描くように飛んでいます。
コンバイン内蔵のタンクが満杯になると先端のパイプから籾付きの米を軽トラックの
荷台のホッパーに吐き出します、この作業は1~2人でできオール人力時代の農作業
に比べるとずい分楽で能率の良いように見えました。
こうした風景を眺めながら横芝駅まで戻りましたが、今日見た灌漑設備と機械化され
た収穫作業は多古米など良質の米の生産の基盤となる日頃あまり注目されていない
けれど、とても重要な技術を垣間見た思いがしました。
H19.8.29

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柳瀬川、空堀川
3年前の六月の快晴の日、志木市役所前から柳瀬川に沿って歩きました。
志木市役所前に村山快哉堂 という昔の薬屋の建物が保存展示されていました。
落ち着きのある二段屋根に虫籠窓の姿の良い建物で、阪神にいた村山投手が巨人を
完封して快哉を叫んでいる姿を連想させるその名前がユニークです。
新河岸川との合流点から柳瀬川右岸に沿って遡りました。
この川はコンクリート護岸が無く、平らな岸に草が生い茂っている川本来の姿をし
ている伸びやかな景色で、暫くすると遊歩道になり桜の木陰を進みました。
志木中学の横で柳瀬川に生息する魚を水槽に入れて展示されていました。
黒板に紹介されている本日の生息している生き物は次のようなものでした。
セイゴ、ドジョウ、コイ、アユ、モツゴ、オイカワ、メダカ、ギンブナ、テナガエビ、
ヌマチチブ、ボラ、ウナギ、ウキゴリ、ナマズ、ウグイ、マハゼ
東武の柳瀬川鉄橋を過ぎると倉庫、鉄骨の工場などが現れて新座市に入り木陰も切
れて暑くなってきました。
清瀬市に入ると武蔵野線が見え 深緑の木立に囲まれた川に青緑の鉄橋が架かり
オレンジの電車が快走して行きました。

金山調節池 緑地公園を経て清瀬せせらぎ公園を通過すると空堀川にでます、水量
は柳瀬川に較べてぐんと少なく殆ど流れているように見えません。
でも水は綺麗なようで僅かな水たまりで子供が自転車を川に入いれて楽しげに遊んで
いるのや、川原のタチアオイの群生しているのを眺めて歩いている内に西武の久米川
駅に到着しました。

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淀川河口の俯瞰
先日 大阪へ行った折、新梅田シティの「空中庭園展望台」に上がってみました。
地上173mの展望台の北側に反物を延べたような淀川の流れが鈍く光っています。
目前に阪急電車が見えます、電車は梅田を出て中津駅を通過すると次第に加速しな
がらカーブを抜け出し、淀川鉄橋を渡って十三駅へ向かいます。
ここには三線の鉄橋隣合せにあるので電車の行き来が多く見飽きません。
私は河原を歩くのが好きであちこち出かけますが、こうして河川を俯瞰図として
見ると、街がいくら立て込んでも河川には上流から河口までの間、絶対空間を確保
していて、その存在感を示しています。
河口方面を望見すると右手に明石海峡大橋の主塔と橋桁が霞んでいました。
H19.5.24

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古墳の散歩道
成田線 下総松崎(マンザキ)で降り、松崎街道を坂田ヶ池に向かいます、田植えを終えた水田を渡る風が爽快で、空き地に植えられた白く大きなカラーが涼しげでした。
池の手前で迷い込んだ竹藪では今春芽を出した若竹が既に3m程に背を伸ばし回りに竹の皮を脱ぎ捨ててあり、竹の生命力の逞しさを感じました。
坂田ヶ池横の道を上がると房総の村の南端、学習院初等科正堂に到着です。
白い瀟洒な建物で簡潔な装飾の室内に長椅子が整然と並べられ創立当時の凛とした雰囲気が伝わってきます。
ここから印旛沼の見える遊歩道を[酒直坂上]のバス停まで2kmほど歩きました。
マツ、サクラ、クヌギ、イチョウ、ヌルデなどの雑木林の中に小高い古墳が幾つもある遊歩道、これはどこかで見覚えのある景色だ、と思ったら子供のころチャンバラ遊びをした大阪豊中の大石塚古墳の雰囲気でした。
H19.5.13

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初夏の江戸川堤防を歩く
武蔵野線三郷駅を出て江戸川右岸堤防に上がるとイヌムギの穂
が風に揺れ、斜面にはハルジオン、タンポポ、アカツメグサ、
クローバ、河原にはヘビイチゴ、ニワゼキショウなど花盛り。
そんな景色を楽しみ、頭上の雲雀の囀り、葦原のオオヨシキリ
の鳴声、川風が耳に当る音など聞きながら市川までの約13kmを
4時間かけて歩きました。
この間、武蔵野線、つくばエクスプレス、常磐線、地下鉄千代田
線、北総線、京成線、総武線の7本の鉄道橋梁を通過しました。
私は鉄道の走る風景が好きで写真を撮り歩いていますが、常磐線、
京成線、総武線など昔架けられた鉄橋はトラスの中を一気に駆け
抜ける電車の全身とその轟音に何時見ても躍動感を覚るものです
が、近年架けられた つくばエクスプレスや北総線などの鉄橋は
トラスの腰回りががコンクリートで覆われているので強度的には
安心でしょうが鈍重な感じで その中を窓から上だけしか姿を見
せない電車が只通り過ぎて行くだけの素っ気無いシーナリーで
物足りなさを感じました。

常磐線鉄橋

北総線鉄橋
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新川・花見川
数年前に検見川浜から花見川に沿ってサイクリングロードを遡り
八千代中央まで歩いたことがあります。
京葉道路を過ぎ、天戸大橋から赤いアーチの弁天橋の間、流れ
は鬱蒼とした木立の中を通ります。
道には木々の生気が漂い川面にはうっすら霧がたち込め、ウグ
イスの鳴き声が聞こえたり尾長が前を横切ったり、これが千葉
市内かと思うくらいの幽玄な雰囲気でした。
京成本線を通ぎ千葉市から八千代市に入ると川の名前が花見川
から新川に変わりました、なぜ突然名前が変わるのか、その時
疑問に思いました。
先日「あばれ沼と蛇の食(源衛門の夢結ぶ)」(小林千代美 著)
[NPO法人「やちよ福祉の会」八千代の昔話を学習する会 刊]を
読んで理由が分かりました。
この2つの川は元々別の流れで横戸の高台(鷹之台ゴルフ場付近)
を分水嶺として花見川は東京湾に注ぎ、新川(昔は平戸川と呼ば
れていた)は印旛沼に注いでいたのを江戸時代初期に染谷源衛門
が印旛沼の洪水を防ぐ為に両川を繋ぎ印旛沼の水を東京湾に流す
工事を開始したのを嚆矢とし、3回もの挫折後、昭和41年の
大和田排水機場の完成を以って漸く印旛沼の治水が完成したと記
されています。
森だと思った所が実はその昔鳥取藩、庄内藩が掘削工事に多大の
犠牲を払った横戸地区であること。
そして以前見学した大和田排水機場で直径3.6mの2000kwポンプ
2台、直径2.5mのポンプ4台 がずらりとならび 常時120t/秒の
排水をしているとの説明を聞いたことがあり、水面を僅か5m
揚げる為に莫大なエネルギーをかけているものだと思いましたが、
印旛沼の洪水を防ぐためにこの落差をつける必要があることなど
納得できました。
H19.5.2


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浜田川を下る
我家(八千代緑が丘)から幕張の浜まで歩いてみました。
浜田川に沿って歩く計画をしたので最初はその源流探しです。
成田街道に出て自衛隊習志野演習場、工業団地を経て桜吹雪の
マラソン道路を横切りました。
習志野高校、実籾自然公園を過ぎるとテニスコートに出ます、
ここにある幅1.5m程の水溜まりが地図上の浜田川源流になる
ようです。
源流を見つけたらあとは川に沿って南下するだけと思ったら
そうは行かない、水路は100m余で姿を消してしまいます。
川跡は最初フェンスで囲ってあるので分かり易いですがすぐに
無くなるので川跡を推測しながら歩くうち京成実籾駅西の踏切
に出ました。
踏切を渡ると病院の横に水路が姿を現しますが、これもその先
の実籾本郷公園迄の短い間でまた地上から消えてしまいます。
浜田川が本格的に姿を現すのは実籾本郷公園を過ぎ実籾高校を
南下したところです。
ここから京葉道路迄の間、回りは畑、森、枯野でのどかな里山
の趣が残っていて、流れの先に幕張の高層ビルが聳えています。
川は京葉道路下を暗渠で潜り抜け再び地上に出ると大久保方面
から来た別の流れと合流し川幅が10m程度になります。
広くなった川は今度は総武線幕張車両基地の下を又もや暗渠で
潜り上八坂橋で姿を現します。
この川は源流から度々地下に潜って姿を眩ますので探すのが
厄介ですがここまでくればもう安心です。
R14を過ぎると川幅が更に広がり満々と湛えた水に鴨が浮か
んでいるのが見えるようになりました。
京葉線海浜幕張駅西を過ぎると川に汐の香が漂いボートが係留
されています。
河口に迷い込んだボラが跳ねるのをみながら進むと幕張の浜に
到着しました。
ここは海浜幕張公園になっていて、すぐ横がマリンスタジアム
です
今日は南風が強く幕張浜の波高し、我家から4時間弱の旅で
した。
H19.4.13
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東浦和駅から坂を下りると見沼代用水西縁の流れに出ます、
近くの小松原女子高のグランドでは部活の女生徒の賑やか
な声が弾み春の躍動を感じます。
用水の両岸には満開に近い桜並木が続き、付近の畑にはピンク
の桃の花、途中立ち寄った見沼氷川公園では立派な辛夷の樹に
白い花が満開で一際青空に映えてます。
見沼代用水西縁に沿って くねくね曲がる川筋にこの地を開拓
した先人の苦心を偲びながら さいたま新都心駅まで歩きました
H19.3.28
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小貝川
関東鉄道の水海道から守谷まで小貝川の堤防を歩きました。
筑波山を望む堤防の上で揚げ雲雀の囀り、河原の藪の中から鶯の
鳴き声が聞こえるのを楽しみ、枯枝の先で尾を上下させる百舌、
川面すれすれに飛ぶ川鵜 などを持参の双眼鏡で観察しながら下流
に向かいました。
お昼、弁当を買いに 首から双眼鏡をぶら下げたままコンビニへ
入ったところ、レジの小母さんに「何か研究している方ですか?」
言われてしまいました。
途中立ち寄った 聖徳寺の掲示板にこんな講話が書いてありました
「本当に自分を知るには、やはり人という鏡がなくてはならない」
なるほどと納得。
この川は川幅が結構広い割りに くねくね曲がり 河川敷には水位
標識が建ててあり危険水位、計画高水位、堤防水位が示されています。
そして常磐自動車道から下流の左岸は堤防の厚さを増す為の土盛
り工事が延々と続いていることなどから かなりの暴れ川らしい事が
覗えました。
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3月の始め、芝川を歩いてみました。
東浦和駅から見沼通船堀を進み芝川に出ます。少し上がった所に
「ヘ」の字形の木造の橋があり、その向こうを武蔵野線の電車が
快走する様は 枯草残る見沼田圃に溶け合い 長閑な雰囲気です。
芝川は川口オートレース場近く迄、小さな曲がりを繰り返して流れ
そこから新芝川と別れます。
左岸を下っていると芝川と分かれたのが気がつかないまま新芝川を
歩くようにります。
新芝川は定規とコンパスで画いた図形のように直線と曲線を単純に
組合せたような川筋となっているので、人工の放水路であることが
一目瞭然です。
流れはトッパン印刷の工場横で直角に曲がり環七道路の鹿浜橋近く
の芝川水門で荒川に注いでました。
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暖冬とは言え 風の強いある日、綱島駅 から あざみ野駅迄
早渕川を遡ってみました。
途中で見かけた キャベツ畑では陽射しを一杯受け青々した
葉が これから春キャベツを巻くぞ と言うような雰囲気で並
んでました。
鶴見川との合流地点で川幅20mもあった早渕川は あざみ野
では6mほどになり、そこから県道の中央を分離帯状に約1km
ほど続いたあと焼肉屋の店先で横に逸れ更に細くなり ついに
暗渠になって消えてしまいました。
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