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東近江 五箇荘を訪ねて

 東海道新幹線の米原~京都間の中程で車窓から一瞬[天秤の里]の看板が見える。

以前から気になり一度訪ねてみたかった。

米原で乗換えた近江鉄道の2両編成ワンマン電車は高宮から新幹線と平行に走り、
愛知川を渡り五箇荘に着く。

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乗降ホームは簡素だが駅舎は二階建ての醸造蔵風、中央に六角形小塔の突出た

立派な作り、以前は駅員が勤務していたと思われるが今は無人。

駅舎の前に[白壁と蔵屋敷の町、近江商人発祥の地]の地図入り案内板があり

愛知川と繖山(きぬがさやま)に囲まれた一帯の地図看板が示されている。

愛知川に注ぐ大同川を渡り行田(ゆきた)電線前を北西に進む。
繖山と黄金の稲田を見ながら歩いていると金木犀の香る風が吹いて来た。

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最初に訪れたのが近江商人屋敷 藤井彦四郎邸。
この屋敷の元主は藤井糸店を創業し財をなしたとの事で、立派な門構えの奥に瓦葺
きの屋敷が控えている、今日は閉館日で門の外から眺めるだけ。

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ビルの上に和風建築を載せたような観峰館の前から南西に向かうと瓦葺き長屋門風
の五箇荘小学校の正門、その大木戸はキッチリ閉じられている。

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校舎は換気小屋を載せた瓦葺き、校庭から生徒の声で校内放送が聞こえて来た。

白壁蔵作り風の近江商人博物館のカドを回って金堂地区に入る。

[五箇荘金堂の町並み]
近江商人の本宅群とこれを取り囲む農村集落の景観は国の重要伝統的建造物群

保存地区に選定されています。愛知川の伏流水を水源とする湧水から集落内を巡る

水路に澄んだ水が流れ、暮らしの中で利用されてきました。 集落を巡った水は周

辺の水田を潤し、湖東地域特有の農村風景を生み出してきました。

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大杉に囲まれた大城神社に立寄る。本殿の前に立派な屋根構えの山門、床を張

れば豪壮な神楽殿になりそうだ。

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近江商人屋敷前バス停左の静かな通りに 浄栄寺、弘誓寺が並び門前の堀割に

大きな錦鯉が泳ぐ愛知川の水の恵みを感じる風景。

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近江商人屋敷の通りに入るとタバコ屋、白壁の蔵、カンコ―学生服の幟旗を出した
店などが並び道路脇に用水路、ずっと先に和田山の緑を望む昔どこかで見たような
懐かしい街並み風景が広がる 

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 [近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ
 行商した商人の総称でそれぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う
 商品にも様々な違いがある]との事。

外村繁文学館前を通りJAライスセンターから北に聳える和田山を見ながら駅に戻
る。
五箇荘駅ホームで八日市行の電車を待っていると、上り新幹線が一瞬で通過して
行った。

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近江八幡 八幡堀

 近江八幡駅北口から県道502(ぶらーめん通り)を北に進み八幡堀に向かう。
正面に八幡山が見える所まで来ると、左に八幡小学校が見え丁度下校の小学生が
出てきた、揃いの白い帽子をかぶって楽し気にお喋りしながら帰って行く。

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観光バスが停まっている小幡通り市営駐車場の案内看板を見てから碁盤目の通り
を歩いてみた。
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[近江商人のふるさと]
天正13年(1585)、豊臣秀次が八幡山頂に築城、本能寺の変で主なき城下町と
なった安土の町を移し、翌年 八幡山下町掟書を公布、縦十二通り、横4筋の区
画整然とした城下町が誕生。しかし開町から十年、廃城となる。
その後は商業都市として栄え、北は北海道、南は九州、遠くは東南アジアまで活
躍した近江商人の一つのふるさとである。
いまなお、碁盤目状の街並みは旧市街によく残され、特に新町や永原町には近江
商人の本宅であった家々が建ち並び、八幡堀に面した、土蔵群など往時の在郷町
としての繁栄を伺い知ることができる。
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八幡小学校前の小幡上筋から八幡堀の間、南北の通りには魚屋(うわい)町通り、
為心(いしん)通り,仲屋町(すわい)通り、等由緒ある名前が残り昔の町の生業、
商い店の名残を伝えている。

八幡商業高校正門から八幡堀明治橋に到る魚屋町通りと大杉町通りが交わる所に
近江兄弟社、[メンターム資料館]がある。

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館の近くにある 近江兄弟社発祥の場所「創(はじめ)の家 の解説には下記記さ
れている

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明治38年(1905)2月2日に来日したW.Mヴォーリズ(24歳)は滋賀県立商業
学校(現 八幡商業高等学校)の英語教師に就き この場所で日本の生活を始め
ました。
放課後には、自宅を開放して「バイブルクラス」を開き、多くの学生をキリスト
に導きました。ヴォーリズの親しみやすい人柄と純粋な心に魅せられて、彼の周
りには多くの青年が集い”「神の国」の理想郷”づくりについて語り合い 町づ
くりに邁進して行ったのです。
建築事業・結核療養所開設・製薬事業・教育事業や教会設立などの「夢」がこの
場所から始まりました。
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館内に近江兄弟社創業者William Merrell Voriesのレリーフとメンタームキッド
を描いたボードが迎えてくれる。
1930年頃のパッケージ容器の商品と共に、Voriesの生い立ちがパネルで説明
されておりそのタイトルを読むだけでも歴史の一端が伺える。

「物語はカンザス州レブンワースから始まった・・・」
「来日、近江八幡へ・・・英語教師」
「2年足らずで解任、建築デザインを始める」
「近江セールズ会社設立 塗り薬メンソレータムが大当たり 近江兄弟社に」
「Vories病に臥し1974年経営危機]
「社員の必死の努力で再建、現在は[メンターム]の名称で事業継続」

1920年創業~現在に至るのメンターム容器、その間に他社で作られた類似品
サンメンターム、メンスター、メンタム観音など数多くがアクリルケースの中に
示されている。

[メンターム資料館]を出て慈恩寺町通りのヴォーリズ記念館を訪ねる。
下見板張りと呼ばれる鎧のような板壁に白い窓枠を備えた奥行きのある建物で
明治時代に建てられた近代的な木造校舎のような感じもする、紅瓦屋根から突き
出した煙突の先端の火の粉止めが吊手のようにも見える。

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ここから北に進み鉄砲町の境橋で八幡堀に出る。

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八幡堀は天正13年(1585)豊臣秀次が八幡城を築城、それと同時に構築された
もので東は北ノ庄の沢より西は南津田長命寺湖岸近く外湖を結ぶ全長約5km、
その全体を「八幡浦」と称した。今日では八幡堀といわれているが八幡の城下町
と琵琶湖を結ぶ一大運河であり大津、堅田とならんで琵琶湖の三大港の一つに数
えられていた。
湖上を往来する北陸と関西の物資を満載したすべての船はこの八幡浦に寄港し大
いに賑わい、今も残る堀沿いの土蔵、倉庫群は往時の繁栄を物語っており、その
重要性は近江商人の活躍を絶対的にしたものである。
この掘割こそが近江商人の代表八幡商人を生み出した源流である。
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ここから往時の賑わいを思い浮かべながら八幡堀に沿って西に進み薬師橋、かわ
らミュージアムの窯前から、瓦亭の前の橋を渡り堀の岸に下りる。
ここから堀に沿って白雲橋までの間、蔵と石垣、岸に舫った屋形船の連なりは絵
のモチーフに恰好の風景だ。
明治橋からシキボウの工場横など歩いていたら釣瓶落としの秋の日が暮れた。

                       R1.10.15

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