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赤山城跡、毛長川(埼玉高速鉄道 新井宿 ~ 舎人ライナー 見沼親水公園)

 埼玉高速鉄道 新井宿駅の観光案内板の近くに最近開店した屋台のように小さ
なタコ焼き屋が営業している。大阪八尾でタコ焼き一筋30年店をやっていたと
の事、12個で350円美味そう。そんな様子を眺めながら県道161赤山街道を東に
進み源長寺を訪ねる。

ヒマラヤ杉の大木が2本聳え立つ門を入ると正面に緑青屋根の源長寺本堂。
説明板に記された由来を見ると、

源長寺は、関東郡代 伊奈忠治によって、元和4年(1618)に、伊奈家の菩提寺と
して再興され、その180年後 伊奈家が改易されると共に急速に衰退した。
明治の終わり頃の源長寺はかなり荒廃していて、築地塀や広間・庫裏などは跡形
もなかった。
そして所縁の有志の尽力により昭和63年(1988)現在の本堂が建立された。との事。

現在は立派な本堂に釈迦涅槃像、法然上人像など備わり堂々たる寺格を備えてい
る。
寺院も社会組織の一つ、会社などと同じく社会情勢や構成する人の力量により盛
衰があるものだ。

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首都高川口線 川口PA横の路を北に上がると赤山城跡。
伊奈家三代目 忠治から十代居城した赤山城も今は、堀と土塁を一部残すのみ。
蝋梅が開いた城跡の生垣に囲まれた南東堀跡には落ち葉が溜まり葉を落とした桜
の樹影が落ちている。

曲輪バス停から東に入ると墓場の間から細い溝が出てきて住宅地の間を下り始め
る、これが毛長川の始まり一つか?。
溝は かって鳩ヶ谷口の陣屋門があった赤山小公園横を経て南下する。

首都高川口線を越え門下町バス停から住宅地に入ると江川運動広場方面から来た
別の溝と合流し幅3~4m程のフェンスに囲まれた水路となる。
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この水路に付かず離れず迷路のような住宅の間の路を進む。
西側の高台にUR コンフォール東鳩ヶ谷の中層住宅があり、東の谷側に一般の
民家が立て混み水路はその谷底を縫って南下している。
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県道328 金明町鳩ヶ谷線を過ぎた流れは江川 長寿橋の辺りで慈林小から来た水
路とY字形に合流し、幅が6m程に拡がり草の川原?もできて川らしくなる。
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長寿橋から淀んだ川を1km程真っ直ぐにきて県道34を越えた先で流れは [く]の
字に曲る。川幅は10m程に広がり川口新郷工業団地の中を東南に進む両岸は鋼矢
板でがっちり保護されている。
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どこから来たのか小サギが鋼矢板の上にが止っているのが見えた。

この辺りは川口新郷工業団地で中には変わった社名の工場があって面白い。
[ドッコ]は金属プレスの会社、[ニットツ]は凸版印刷の関連会社らしい、[カネ
テツ]は関西では竹輪とカマボコだが、ここでは金属再生業。

緊急用調節池の横 テニス場に沿った左岸の裸の並木を見ながら進み八幡木中、
毛長川橋を過ぎると右岸側が東京都に入る。
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イリアホテルの先、舎人4号公園から毛長川に沿って舎人緑道公園が始まる。
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首都高川口線の下を通り砂子橋で左岸側に見沼代用水東縁が合流し水を落として
いる。
ここから川幅は一気に30m程になって東進して綾瀬川に合流する。
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見沼代親水公園駅から乗った舎人ライナーの運転室のかぶりつきには子供が一杯
だった。

                        H28.1.10
1601100072s


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